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精神分析

海、夢、堀本裕樹『海辺の俳人』

あっという間に一時間。若い頃は家族に気を遣われるほど寝起きが悪かったのに今は目覚ましもかけず空が明るくなる頃にはぱちっと目が覚める。家族に気を遣われるほど、と書いたがただ私がぐったりしているのを放っておいてくれただけで、あ、それが気を遣ってくれたということか。週末は大きいものを洗濯して天気予報を信じてしっかり洗濯バサミで止めて外に干したまま出かけた。我が家のベランダは風も強い。信頼って大事だ。夜帰ってくると全部しっかり乾いていた。

久しぶりに海をみた。仕事を終え電車に乗った。沿線で大きなトラブルが起きていたようだったが私の乗る区間には影響がないようだった。一番早く出発する電車に乗ったからそれが遅延していたのかどうなのかもよくわからない。海辺の街の本屋さんに行くついでにぼんやり歩いていると小道から海が見えた。ビーチへ向かう道とは逆方向へ来たつもりだったからうわあっとなった。海なし県育ちなせいかいつになっても海を見ると衝撃を受けてしまう。こっちからもいけるのかもしれない。大通りを歩いた。ふと前の方に親子3人組が現れた。そこに道があるのか。すれ違ったときはお天気の話をしていたようだったが地元の人ではないようだった。休日の役所の前を通り小さな道を見つけた。ドキドキしながら進む。見えた!小道の先に。海が。その道は直接ビーチに出る道ではなかった。

なぜかここまで書いて寝ていた。夢を見ていた。小さな女の子二人がキックボードで渋谷西武の前のような道を人混みをすり抜けて走っていく。車道側に呼び寄せ私たち大人たちの間を走るようにいう。子供たちはキックボードを捨て今度は元気いっぱいに走り出す。私たちも追いかける。飛ぶように走る彼らを妖精のようだと思う。私は大人になった彼女たちを知っている。時折振り向く彼らと言葉を交わす。夢から覚めた。可愛らしく幸せな夢。いつの間に眠りに落ちたのだろう。腿の上のPCは今日は暑くなっていない。扇風機をようやく出して電源を入れた。もっと早く出せばよかったと思うが毎年のことだ。

俳人、堀本裕樹の初エッセイ集『海辺の俳人』のいくつかのエピソードにも影響を受けたのだろう。先日、幻冬舎から出版されたこの本は私の周りでは連載時から話題だった。堀本さんの好奇心とユーモアと小さな発見と豊かな文学的知識に満ちた海辺での生活がモノローグからダイアローグに変わっていく様子は各エッセイの最後に添えられる即興俳句にも見ることができる。その変化は堀本さんを師とするプチ俳人たちの心をざわつかせたりもしたようだった。私は連載を読んでいなかったが彼らの話を定期的に聞いていた。懐かしい。コロナ禍、オンラインで顔も知らない人たちとそんな話をしていたのだ。つまりこのエッセイはパンデミック直前からコロナ禍に書かれたということ。情緒豊かに予測できない日々を送りながら世界を17音に圧縮していく。それと同時に先生に見てもらうためにやってくる数えきれない17音を読み取る。取り上げなかったからといって落胆する必要はない。また淡々と作り続けるだけだ、と堀本さんは言っていた。評価のために表現をしているわけではないのだからそれはその通りだ。コロナ禍に生まれた娘や家族に対する文章を読めば堀本先生の師としての魅力も十分に伝わることだろう。俳句には全く関心のない人にも広く届いてほしい一冊だ。

また近いうちに海へいこう。知らない街の知らない道を目的もなく歩こう。とりあえず今日も一日。今日は7月31日?ああ。31日。がんばろ・・。