すごい風。熊本の雨はどうなのだろう。能登にも洪水警報が出ているという。どちらも地震や水害ですでに弱っている土地だ。被害に対してできるだけ早く援助が入れますように。
1985年8⽉12⽇、⽇航機123便が群⾺県上野村の御巣鷹⼭に墜落し520⼈の方が亡くなった。あれから40年になるのか。3人の娘を亡くした両親の記事を読んだ。あの日、私は群馬を離れて水道橋にいた。思考停止を体験した大きなニュースはこれまでにいくつかあるが、御巣鷹山での事故もそのひとつだった。
昨晩、8月15日必着の投句を清書していた。10句出すのだが作るのもギリギリ、清書までにまたぼんやりし、推敲不足なために清書の段階で自分の言葉に違和感を感じて止まったり、最後の一句でついに書き写し損ねた。6句目くらいから集中できなくなっていることに気づいてはいたが最後にやってしまった。そして今度は修正テープを探すのに手間取った。テープのりならなぜかいくらでもあるのに修正テープがいつもない。使用頻度の高いものこそ置き場を定めなくてはいけない、といつも同じような場所に戻しているつもりなのだけどなぜかいつも探すのに時間がかかる。そして修正テープ初期のものでは、というレトロな未開封ものを見つけた。封筒の宛名もきれいに書けなかったし、郵便料金が変わったせいで切手もたくさん貼らなければで見栄えが悪い。でもとりあえず間に合いそう。毎日俳句を作る習慣が崩れていたのがよくなかった。清書から封を閉じるまで一気にスムーズにできる人も多いだろうけど、私の場合、それは小さなステップの積み重ね。丁寧に、きれいに仕上げたいなら時間的にも精神的にも余裕が必要。
先日、バスで、大きな大会の選手たちと一緒になった。「◯◯も出れば」と言われた女子が「男子の大会だから」というと「男尊女卑」と男子はつぶやいた。バス停で待っているときからありがちな力関係を感じさせない喋りをする子たちだなと思っていた。私はバス停の柱に作られた細長い巣に素早く出たり入ったりする燕を写真におさめようと伸びたり縮んだり落ち着きなく動いていたのだが、彼らの会話は落ち着いていて、物理的にも心理的にも相手のスペースを脅かさない普通の譲りあいや気遣いがあった。男子選手は女子選手の実力に敬意をはらっているらしく、女子選手も静かな闘志を見せていてカッコよく、心の中でたくさん応援しながら先にバスを降りた。外は大雨で、祭りの予定だったその街は静かで、図書館も美術館も開館時間が予想より遅く、美術館併設のおしゃれだけど古びたカフェで時間をつぶした。若い世代は意外とこういう会話をしている、と私は知っている。子どもたちのため、とか言っている大人はあまり信用できないことも私は知っている、というか、子どもたちがそう言う大人にうんざりしていることを知っている。実際、私もそう言いたくなるときは自分に欺瞞を感じる。私に彼らのような振る舞いができているとは思えない。
この辺は福尾匠『非美学 ジル・ドゥルーズの言葉と物』の「第4章 言語 概念のプラグマティック」やジュディス・バトラーが参照する論者たちのパフォーマティヴィティに関する議論で深めることができそう。ジェンダーとセックスに対する考え方を更新する可能性は子どもたちにあるのだろう。
再び眠くなってきた。昨晩は夜も遅かったからこのままだとかなり寝不足になる。もう少し眠ろう。水木しげるも「睡眠は幸福のモト」と書いている。たしかに「眠れる」という事態は特別なことだ。眠ろう。そしてまた起きよう。
