「萩の月、食べる?」「うん、萩の月じゃないけどね」
という会話をしたことがありますか。では、萩の月を口にしたことはありますか。これは多くの方があると思います。言わずと知れた(ですよね?)仙台の銘菓です。
長期休みのあとは、非常勤で行っている職場に様々な土地のお菓子が集まります。そこには必ず、でもありませんが、「萩の月」と似たお菓子が登場します。私の地元にもあります。どれも微妙に味が違いますがふんわりしていて美味しいです。でも多分それらのお菓子の名前を使って冒頭にあげた会話は成立しません。そもそも今年は各地のお菓子と出会う機会自体が減りそうですが。
「フロイトという人をご存知ですか」と看護学校の学生に聞くと大抵の人は名前だけは知っています。でも「ウィニコットという人を知っていますか」と聞くとその割合はガクッと下がります。ウィニコットが生まれ育ったイギリスでは事情は異なるかもしれません。萩の月に似たお菓子だってその土地では萩の月以上に知られている可能性が高いですから。
「明後日17日は秋櫻子忌です」と言われたらどうでしょう。私は「そうなのですね!」となります。なぜなら秋桜子忌というのは季語だから。ご存知ない方は秋櫻子って何?人?という感じかもしれません。
水原秋櫻子、1892年から1981年まで生きた俳人です。高浜虚子(こちらはご存知でしょう)に師事し(後に訣別)「馬酔木」を主宰しました。秋櫻子忌は喜雨亭忌、群青忌、紫陽花忌ともいいます。こうして見ると、秋櫻子を知らなくてもこの季節に亡くなった方の忌日なのね、とわかりますね。美しい季語です。
「萩の月」に似たお菓子をおめざ(大人には使わないかな)にしながら思ったことから今日ははじめてみました。自由連想というものでしょうか。今朝は自分が好きなものばかり登場してくれました。
月山の見ゆと芋煮てあそびけり 水原秋櫻子
9月20日に予知されていた「日本一の芋煮会フェスティバル」は新型コロナウィルス感染症の影響を鑑み中止だそうです。今は言わずと知れたコロナウィルスかもしれませんがいつからかそれも忘れられていくのかもしれません。それがいいように思います。
終息し忘れられていくもの、消費されても失われないもの、亡くなってなお生き続ける人、先のことは誰にもわかりませんがとりあえず今日も朝は来たのでした。