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俳句 読書

成長

坂の上の小さなおうちだった保育園はいまや駅前に第一、第二と園舎を持つ認可保育園になった。あの頃赤ちゃんだった子たちはもう小学生だ。長い間成長を見守っていると大きくなったその子たちに当時の面影を見ることがある。

毎月どこかしらの保育園を巡回する。4、5歳になると年に数回しかこない相手のことも覚えている。「また会ったねー」と寄ってくるスピードも雰囲気もそれまでとあまり変わらない。

万緑の中や吾子の歯生え初むる 中村草田男 

少し前にここでとりあげた句だ。その日、保育園にいくともうすっかりおしゃべりでやりとりするようになった子どもたちが「またきたー」と寄ってきた。そして口々に「歯が抜けたんだよ」と口をいーっと横にひらく。最初に生えたであろう下の前歯が抜けている。なんともいえずかわいい笑顔はこの時期だけのものだ。「永久歯」が生えてくる。

永久歯とはに抜け落つ麦の秋  桑原三郎

この歳になると目に見える変化もないので特に成長は喜ばれないが再会を喜び合うことは相変わらずある。喪失は子どもの頃よりもずっと日常になる。

ところで、女が歳を重ねることをリアルに書いたのは藤沢周平だと思うがどうだろう。今、私の手元には「夜消える」が二冊ある。何故だかわからない。第一刷が1994年。多分一度読んで、読んだことさえ忘れてまた買ってしまったのだ。古い方の一冊にはもうカバーもかかっていない。別の小説を探していたら本棚に並ぶ二冊を見つけた。並べたことすら忘れてしまっている。そもそも今これを書き始めようとしたときに私はこのことを書こうとしたのだ、そういえば。

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精神分析

紡がれ編まれる言葉

来月はお世話になっている先生のお誕生日。お祝い句をお送りすることになったが、果たしてお祝いの気持ちを句にのせられるだろうか・・・・

ことばに気持ちをのせることは本当に難しい。自分が言葉を話すときもそうだし、相手の言葉にのせられたそれを受け取る場合もそうだ。私たちは大抵、言葉を字義通りに受け取ることはせず、無意識の文脈にのせてそれらを変形する。話し手と受け手の双方がそれをする。宛先がないとしても言葉はひとりだけのものではなりえない。

昔、鍵のついた日記帳を使っていた。簡素ですぐ外れるような鍵だった。でもとても気に入っていた。「ひみつのノート」を作っている子もいた。ノートの表紙にそう書いて。自分だけの秘密のノート。誰かを想定しているから「秘密」は生じる。

松田聖子の「秘密の花園」を思い浮かべた。80年代。カセットテープに秘密を吹き込んだ思い出のある人もいるかもしれない。好きな子のために夜通しカセットテープにダビングを繰り返した人もいるかもしれない。たとえ口下手でも音楽なら率直に伝えられる。「どうしてこの曲?」と相手が思ってしまう場合もあったかもしれないが(もはや笑える思い出になっていることを願うが)。

SNSで一方的に知っている立場から投げかけられる攻撃的な言葉、あれはなんなのだろう。たとえ本当にそう思ったとしても秘密にできないものだろうか。投げてしまうことで、自分から放してしまうことで自分の内側は少し楽になるのだろうか。画面上で削除できても人のこころはそうなっていない。痕跡が残る。

お祝いの一句。攻撃の言葉よりずっとずっと難しい。プレゼントを買うときのように数えきれない言葉から17音を選びとる。困難で幸せな時間だと思う。

お互いのこころで紡がれ編まれる言葉。今日がよい1日でありますように。