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ベルクソン、フロイト

早朝、窓を開けたら一番きれいな色をしているときの光に会えた。ただの強い日差しに変わってしまう前の爽やかなピンク色。昨日はそんなに汗をかかなかった。外に出るたびに「あぢぃ」となっていたけど長時間でていることがなかったからかな。熱中症にならないようにせねば。水分水分。

ここでも何度か書いている平井靖史さんの『世界は時間でできている -ベルクソン時間哲学入門-』が昨日3歳になったそう。ベルクソンに関してはこれと『ベルクソン思想の現在』檜垣立哉、平井靖史、平賀裕貴、藤田尚志、米田翼が私の愛読書となっている。2022年のベルクソン研究者たちの盛り上がりはすごく楽しそうで、そのネットワーク作りをしている平井さんの仕事ぶりも魅力的で私もようやく門前にとどまることができた。

アンリ・ベルクソンとフロイトは同時代を生きて神経学に同じような関心を向けながら心について考えていたにもかかわらず接点がなかった。ジャン=リュック・ジリボンがベルクソンの『笑い』とフロイトの『不気味なもの』を並べて読解することで見出した「不気味な笑い」という論考が2016年に平凡社ライブラリーから『笑い/不気味なもの』としてでており、二人をつなげる試みはなかったわけではない。ベルクソンに魅力を感じながらも長い間近づけなかった私もとりあえずこの本は買っていた。

日本の精神分析でいえば、小此木啓吾が哲学少年としてベルクソンを読みこむだけでなく、フロイトが導入した失認agnosieなど神経学的な問題に臨床で関わる中でベルクソンの『創造的進化』に影響を受けた学者たちも参照しながら自我発達理論と発達神経生物学の延長として精神分析における自我心理学の発展について述べている。小此木先生が見出した日本の若い(当時)医者や心理士は私たちに精神分析と精神分析的なものをごっちゃにしたままとはいえ、海外の最新の知見はもちろん、ご自身の臨床に基づいた精神分析的思考をたくさん教えてくださった。私はその世代に直接、精神分析やスーパーヴィジョンを受けてきた世代なので、小此木先生の批判されるべきところも知っているが、小此木先生の仕事に戻れば、精神分析を学際的な領域として楽しめることも知っている。今「自我心理学」と聞いたときに神経学からの発展として話す人は少ないように思うので、私は私の世代で言えることを幅広い視野から次の世代に伝えていければいいなと思う。

最近はビオンの自伝に感動したのでそればかり話している気がするが。今日はフロイト『心理学草案』。せめてここまで戻る場を作れてよかった。

今日も暑そう。気をつけながらがんばりましょう。