カテゴリー
精神分析

夏本番、支え

カーテンも窓も開けたくない。別の部屋に行きたくない。除湿運転でちょうどよくひんやりしたここにいたい。と何度もベッドに戻りたくなる。いよいよ夏本番。一応まだ梅雨なんだろうけど昨日もとても暑かった。

が、昨日はポッカリあいた時間を使って弾丸プチトリップを敢行。身体が動くうちにやっておきたい、そして夏休み前だけどリフレッシュ必要ということで東京と距離をとった。1時間あればかなり別の環境に行ける。

知らない人の隣に座ってなんとなくその人が反応した方向をみたらびっくりするような景色があったり、自分の目より人の目を借りた方が世界は広く感じる。この前、久しぶりに若い頃からの付き合いの先輩たちと話をしていてその先輩たちにもその職場の人にもいろんなことを分け合ってもらったなと思った。当時の俺らの仕事のやり方はどうなんだ、という部分はあるが、当時本当に大変だったことや人に対して今は別の見方ができるのも彼らのおかげ。

そういう彼らが学術大会で「すごく久しぶりに精神分析の人の話を聞いたけど昔より身近になってる気がした」といってくれた。私みたいのがいるくらいだから以前の高学歴、高知能男性(という言い方をしている人は結構いた)ばかりの集団ではないし、なにより実践が一定の水準でなされていることが臨床家である彼らにいい印象を与えたらしい。以前はすごく賢い人たちが失敗する事例を出すのが精神分析という印象だったという話も聞いた。多分理論と結びつけた説明が届かない場合に精神分析では必然的に生じる「失敗」が何か自分たちの臨床感覚と全然違うという感じをもたらしたのだろうと思う。私たちがもっといろんな言葉を使っていかなければならないのだろう。

日本では精神分析という言葉は「的」をつければかなり広い意味になるが精神分析を実践している人は協会の人や海外で精神分析のトレーニングを受けてきた人だけだと思う。別の友人たちにも「そういえば実践なき議論を続けてきたから実践している人の話は大事だよね」と言ってもらえたのも嬉しかった。精神分析は高いが、そこまでの投資を自分に対して必要と感じた人は自分から希望する場合もあるし、こちらからの提案でその存在に委ねてみようと決心したりする。精神分析の知見はそれこそ日常生活で生かせるものだし、今も実際に生き残っている実践であることを広めて行けたらいいなと思う。なのでこうしていろんな会話で労ったり励ましたりしてくれる友人たちの存在がとてもありがたい。今日もそういうみんなの支えを還元すべく色々がんばろう。

熱中症にお気をつけてお過ごしください。水分水分。休息休息。

カテゴリー
Netflix 精神分析 読書

日曜

昨日は寒かった。部屋は暖房いらずだったから春ではあるのね。さて日曜なので最近のことを振り返ってみましょう、といっても特に新しいことはしていない。Netflix「アドレセンス」はよかった。13歳の容疑者に対するイギリスの警察の手続きも勉強になったし(必要事項はとりあえず伝えたぞ、クレームは受け入れるけど今は従って、みたいな雰囲気に疑問はあれど)、この年代のリアル(大人はなにもわかってくれない以前にあまりになにも知らないのでコミュニケーションの相手とされていない)のも本当によく描写されていたし、母ではなく父が対象とされているのも新しいと思った。私は職業柄、自分の仕事と重なる第3話の殺人を犯した少年とセラピストの面接場面が最も印象に残った。あの喉が変になる感じ、何も言っていないのに自分の言葉にパニくる感じ、それをどうにかしようとして何事もなかったかのようにこちらに圧をかけてくる仕草、どれもよく知っている。子供としても治療者としても。誰もが知らず知らず狂わされる記号や行動、誰かのために生まれてきたわけではないのに誰かのためにしたことによって搾取されるという現実、どこで失敗したのか、何が足りなかったのか、できたとしたらなにを、という答えのない問いの反復、まさに取り返しのつかないことをしたことを認めるまでのプロセス、などなどいろんなものが盛り込まれていた。日テレでやっていた「グレイテスト・ショーマン」も結構最初の方から見られた。ヒュー・ジャックマンとザック・エフロンのバーでのシーンがかっこよすぎて意味わからないと目眩した。ヒュー・ジャックマン演じる主人公にはひどいひどい言いまくっていたのになんかあのシーンはずるかった。ザック・エフロンとゼンデイヤはもちろん最高にロマンチックでよかったけど。This Is Meはすごい名曲なのにストーリー的にはひどいシーンだよね。Netflixで「メダリスト」も新エピソードみた。人気シーンですね。フィギュアはちょうど世界選手権だった。坂本花織の演技、見たかった。ショートで出遅れてしまったのに銀メダルはさすが。坂本の実際のスケーティングって本当に早くてパワーがあってすごいらしい。テレビでもすごい筋力を感じる。そのスピードでそんな高く飛べるんだ、と「メダリスト」に出てくる子供たちみたいな感想を持つ。ほかにもちょこちょこみたかな。いきたい展覧会には行けていない。ちょっと「ながら」ができるものばかり。本は相変わらず隙間時間にちょこちょこ読んでいるけど、村田沙耶香の影響が関係ない話題でも出てきてしまうらしく「発想が怖いよ」と指摘されるようになってしまった。ヘーゲルとかもちょっと読んだ、すでにあまり覚えていないけど。最近はいい入門書もたくさん。ラカンが取り入れたヘーゲルはヘーゲル本人ではなくてコジューブ経由だけど何が違うのかしら、などちょっと勉強した。あとはもっぱら花を追いかける日々ですね。昨日の朝は雨で寒かったけどスマホ濡らしながらいろんなお花を撮りながらオフィスへ行った。今日は寒いけどお天気はいいらしいのでフラフラ寄り道しながら出かけましょう。

[臨床家の方へお知らせ]

6月に私が所属する日本精神分析協会の学術大会が行われます。

週4日以上、カウチでの自由連想という精神分析実践は今の日本でも細々と引き継がれています。その実際やそこから生まれた論点に関心をお寄せいただけたら幸いです。私は司会者とパネリストと一般演題の演者を務めます。

日本の精神分析家は名誉会員2名、会員44名で46名しかおらず、支部は福岡と東京のふたつ、会員は名古屋、京都、大阪などさまざまな地域で活動しています。

今回は日本精神分析協会の大会なので精神分析家と候補生だけでなく、日本の協会独自の機関である精神分析的精神療法家センターの精神分析的精神療法家、精神分析的精神療法家研修生のパネルや演題もあります。

精神分析的心理療法を実践されている方はもちろん、精神分析って言葉は聞いたことあるけどまだあるんだ、という方も多様な治療と治療文化を良い形で引き継いでいくために対話にいらしていただけたら幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。

日本精神分析協会 第43回 学術大会

6月7日(土)午後〜6月8日(日)午後

@東京、市ヶ谷

詳細は日本精神分析協会のWebサイトをご覧ください。

カテゴリー
精神分析

六月、日本精神分析協会学術大会

雨。静かな雨。これから気温が下がるらしい。ミャンマーの地震、M7.7というのはどのようなものなのだろう。今治の山火事からも1週間が経つ。大船渡の火事で「熱源」という言葉を何度も聞いたが山が普段静かであることの方が不思議なのかもしれないと思わされる。どうか被害が広がりませんように。雨が救いになりますように。

早朝から掃除をしていたらあっという間にこんな時間になってしまった。

今年も六月の最初の土日に日本精神分析協会の学術大会が行われる。分析協会としては43回目だが協会に所属していない臨床家に開かれた形で行われるのは2回目だ。精神分析的心理療法を実践する人にはぜひその起源となる精神分析そのものの実践を知ってほしい。精神分析ってまだあるんだ、という人にもこの細々と、しかし世界中で続けられているこの実践を知ってほしい。精神分析は患者との関わりはもちろん、哲学者や文学者など外部の知に支えられ、交流しながら発展してきた学問である。それぞれの知が人を変化させる力を持つ。なので本当は臨床家だけではなく、いろんな人に聞いていただき、対話ができたらと個人的には思うが、臨床というあくまで個別的なものから議論を立ち上げることの優先順位は高い。私も精神分析家として生活するようになって9ヶ月が経ったが、オグデンたちが論じた精神分析家「である」、精神分析家「になる」ことを実感とともに考えられるようになってきた。分析家として認定される直前に海外で日本の協会という小さな組織での体験を話せたことも大きかった。立場が変わることで自然に失われるものもある。聞く耳の機能も変わったように感じる。この小さな組織で精神分析という治療を、治療文化を守っていくためにできることを考えるために多くの声を聞いていきたい。ぜひご協力いただけたらと思う。

日本精神分析協会 第43回 学術大会については日本精神分析協会のウェブサイトをご覧ください。どうぞよろしくお願いいたします。