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花火大会、姑娘、戦後80年

灰色の空。パウル・クレーが気をつけろと言った灰色。はじまりの色。窓を開けた。今日は少し風がある。鳥の声も穏やか。エアコンはまだつけなくて大丈夫そう。冷たい麦茶が美味しい。

最近、コンビニで花火を見かけることが増えた。夏だ。祭りだ。花火大会だ。オフィスからはヤクルトスワローズの本拠地である神宮球場であがる花火が見られる。5回裏の終わりに。いつもちょうど観られないけど。そういえばこの前「花火だ」と思ったのだけどスワローズのは夏休み期間だけだと思う。なんだったのだろう。外苑の花火大会はお盆のときかも。能登はどうかな。七尾市、加賀市、和倉温泉の花火大会は中止みたい。昨年、羽咋に泊まった夜にちょうど「復興花火in千里浜海岸」をやっていたのだけど不覚にも眠ってしまって見に行けなかった。昼間、炎天下の千里浜海岸を自転車でたくさん走って疲れていたらしい。はじめての試みだからホテルが指定する場所から見えるかわからないのだけど、とチェックインしたときに言われたけどとてもきれいに見えたと朝になってから聞いた。今年はやらないのかな。暑い夏も元気に乗り越えてほしい。「日本三大火祭り」のひとつ、能登島向田の伊夜比咩神社の火祭りは7月26日に無事に開催されるらしい。たくさんの人で盛り上がりますように。能登島はのとじま水族館がある島。GWに行ったときはちょうど避難していた全ての魚たちが戻ってきたところだった。地震から水族館再開までの様子とかをパネルで見たけど本当に大変な作業をみんなでされてきたんだなと涙が出た。

石川といえば山中温泉に泊まり街中を散歩していたとき「姑娘」という中華料理屋が目に入った。なんと読むのだろう、と思いながら通り過ぎた。翌日金沢の茶屋街に行くとギャラリーのようなお茶屋さんで箸置きや器に「姑娘」がいた。アヤベシオリという作家さんの作品だった。どれもとてもかわいくて連れて帰ろうか迷った。お店の人とおしゃべりしながら「姑娘」の意味を聞いたがわからないと言われた。その後に出会ったのが水木しげるの「姑娘」。強烈だった。戦争が人生を想像もしなかった方に連れていくということは頭では知っている。いろんな人がいろんな資料を残してくれたから。しかし、こういう方向もあるのか、というか水木しげるが知っているリアルはすごい。ちなみに読み方はクーニャン。若い女性という意味らしい。同じ本に収録されている作品も太平洋戦争のもの。戦艦や駆逐艦の絵も凄まじく細やか。悲惨なことが次々に起こるなか人間の書き方は軽やかでユーモアさえ感じさせるがそれだけではもちろんなく多面的。人間の愚かさって本当に説明しがたいということがなおさらなんともいえない気持ちにさせる。戦後80年、恵比寿の東京都写真美術館で開催中の「被曝80年企画展 ヒロシマ1945」にも行ってきたが、あの惨状にカメラを向けずにはいられなかった人たちの記録が特に心に残った。

7月1日締切の原稿のために出していた本たちを本棚に戻して、なんとなく積み重ねていた洋服を整理した。心配していたとおり梅雨に気温が下がるということがなくずっと暑かったので薄手の長袖ニットとか全然着なかった。しまってしまおう。そういえば関東の梅雨明けはまだ?引き続き熱中症に気をつけて過ごしましょう。

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七尾線とか図書館とか。

昨日はいいお天気だった。青空に白い雲。緑もすっかり濃くなった。子どもたちの大きな声もたくさん聞いた。夏。今日のお天気はパッとしない。雨は降るのかな。

家の大きい机の位置を変えた。私的にはだいぶスッキリしたけどどっちを見ても本が積み上げられ資料の入ったファイルボックスがたくさん並べられ。領収書も埋もれている。いけない。

能登半島地震が起きて、その年の夏には羽咋山中温泉、小松、金沢へ。今年は和倉温泉(七尾市)、金沢。金沢から特急があるからとても行きやすかった。次回は輪島に行くつもりだけど輪島は車じゃないと行きにくいのでバス利用になる予定。そのときは七尾市の能登演劇堂の公演も見にいきたいが金沢を拠点にできればの話か。この前、七尾駅前の七尾市立図書館に行ったら郷土の作家を紹介する部屋で無名塾の仲代達矢が能登演劇堂の紹介をしている映像が流れていた。5月30日からはその無名塾が令和6年能登半島地震復興公演ということでブレヒトの「肝っ玉おっ母と子供たち」を公演予定とのこと。ポスターも貼ってあった。能登演劇堂があるのはのと鉄道七尾線の能登中島駅。愛称は「演劇ロマン駅」。七尾線の駅はそれぞれ愛称があって面白い。そのときも金沢によって今度は石川県立図書館で石川の本が読みたい。こちらも愛称があって「百万石ビブリオバウム」。

いい図書館はいい。読書が捗る。色々な図書館に行った。昔は暗くてちょっと狭い場所が好きだったけど今は本を読むなら天井が高くて明るい場所の方がいい。勉強するとかでもその方がいいような気がする。今は図書館で勉強することがあまりないからなんともいえないけど。精神分析の本がたくさんあればいいんだけど自分で持っているものの方がずっと多いから。

そういえば先日、下の世代の臨床家に本をあげた。私ももう少しずつ片付けながら前に進まないとだし、この溢れかえる本を積んだままにしておくのももったいないから。そしたらそれらの本はもう絶版ならしくなおさら譲っていこうと思った。活用してくれそうな人に渡せるのは嬉しい。

今日はどんな1日になるでしょう。頑張りましょ。