カテゴリー
散歩 精神分析

新潟県弥彦村、エルリッヒ論文、村田沙耶香

東京。暗い。今朝は寒くない?暖房はつけるけど。夏の間、冷蔵庫に入れておいたフィナンシェを熱いお茶といただこう。柿もある。あっという間に秋になり、明日11月7日(金)は立冬。なんでも冷蔵庫に入れていた季節がようやく終わったのになんて慌ただしい。週末、新潟で時間があるなかで紅葉を楽しめたのはよかった。新潟駅も朱鷺メッセ周辺も赤に黄色に美しかったが、弥彦公園もみじ谷が素晴らしかった。まだ一分とか案内されていたが十分!十分きれいだった!弥彦山に登る予定の人と一緒に行ったのだけどあいにくの雨で一緒に弥彦神社やもみじ谷を散策。紅葉山もいろんな色に色づいていたから晴れていたらさぞ鮮やかだったでしょう。弥彦駅に着いたときは大雨でお店の軒下で雨宿りしたり、小さなお菓子屋さん分水堂菓子舗でパンダ焼き(人気!)を食べたり、そのお向かいのおもてなし広場で足湯で温まっているうちに小雨になり出発。彌彦神社までの道歩きも楽しい。弥彦神社では菊まつり開催中。いろんな菊があるねえ、と菊まつりに出会うといつも思う。大きな神社で鹿園もあって、良いニワトリたちもいっぱいいた!こんな豪華な並びは珍しいのではないか、と思った。彌彦神社を出てまた散歩しながら弥彦公園もみじ谷へ。とてもきれい。夜はライトアップもするとのこと。山の方へ伸びる道を見つけて行ってみたら湯神社に続く鳥居が続いていた。こんなところに異世界への入り口が、という雰囲気。細い道をどんどん行ってみたが10分くらい歩いても先が見えず、ふたたび登りにさしかかった。そのあと、弥彦ブリューイングに行ってから帰りたかったから霰も降ってきたので引き返した。あとから地図を見るともう少しで到着だったらしい。湯神社って面白い名前、と思ったけど弥彦温泉発祥の地なんだって。弥彦ブリューイングも無事にやっていてお店の人たちといろんなお話をして楽しかった。これはこれで色々書きたいがまたどこかで。帰り道は小雨だったけど寒かったー。これからこういう季節が来るのだなあ、と怯えた。寒いの本当に辛い。でも新潟はいいところだったな。東京から遠くないし。新潟市なら精神分析で開業してもやっていけるかもしれない、というか私は日本全国を巡りながらそこで精神分析で食べていけるかということは必ず考える。「最初はここのクリニックで雇っていただけないかな」とか奄美大島でも思った。奄美大島はね、住んでいる人やコロナ禍で移住してきた方とお話をした限り、コミュニティの繋がりの効果がすごそう。そこに精神分析的理解を活かすことはもちろんできるだろうけどね。

テレビをつけた。今日の東京は気温より寒いらしい。昨晩、月を楽しみにオフィスを出たら何も見えなかった。今日は見えるかな。

昨日、Erlich, S. (2025) Is psychoanalysis relevant to the Israeli–Palestinian conflict?. International Journal of Psychoanalysis 106:165-173をめぐる、エルリッヒとマイケル・パーソンズのやりとりについてちょっと書いた。

エルリッヒ先生は1937年生まれの88歳。ドイツ生まれのユダヤ人で幼いときに「水晶の夜」も体験し、ドイツを出てイスラエルで育ったという。この論文の中にもKristallnacht、1948 Arab–Israeli War、Yom Kippur War、Palestinian rocket attacks on Israelの体験について触れている。つまり当事者として、かつ精神分析家として書いている。今回のやりとりによって、エルリッヒが強調したいところが明確になったのはよかった。以前この論文を読んだときには気づかなかったことや外的現実をどう捉えるかという昔からある議論の再考を促された。イスラエルという国の歴史を学んではいるけど、立場が違えば書き方も変わる。私はどう書いたらいいか全くわからないのでとりあえず身近なところで話すことからしてるけど。

IPAの精神分析家になってよかったと思うのは精神分析を世界中の他の国と共有するものとしてリアルに考えらるからで分断とか特権とか権力とかいう言葉をたやすく使いたくない状況に身を置けるから、精神分析の限界についてずっと意識的でいられるから、かもしれない。

昨日、村田沙耶香『世界99』が第78回野間文芸賞を受賞したとのこと。そりゃそうでしょう!とこの文芸賞についてよく知らないけど思った。あれはすごかった。朝ドラ「ばけばけ」も人間のぞくっとさせるところを描いているが、村田沙耶香が書く人間は酷すぎて、でも知っている世界すぎてもうなんと形容していいかわからない。うわあ、うわあ、ということの連続をなんでもないような筆致で書く村田沙耶香が恐ろしくて大好き。おめでとうございます。

なんだか寒くなってきた。厚着しよう。どうぞ良い1日を。

カテゴリー
仕事 精神分析 精神分析、本

デイサービス見学、エルリッヒ➖パーソンズ論文

気持ちいい空気。今日も厚着してるけど寒さは週末ほどではない。新潟は寒かった。

昨日は学生の頃にはじめた障害児との仕事からの広がりで知り合った人たちと会ってきた。最初はとてもこじんまりと始まった地域密着型デイサービスの利用者さんが増え、私が伺った時間も小さなお部屋の大きな机は満席。様々な介護度の方が看護師さんに盛り上げられながらかわいいどんぐりの葉っぱを折り紙で作っていらした。よく言われていることではあるが何か作業をしているということ自体が本当に大事と実感するとのこと。そうだろうなあ。自分の老いだって視野に入ってきた今、昔こういうところに伺ったときとは違うものを感じた。それにしてもこの大変な仕事を生活の糧にしていくのは本当に大変で、行政の枠組みでやらねばならないこと、必要だからやってあげたいこと(現場にとってはこちらこそやらねばならないことだが)など優先順位って本当にそれでいいのかということもあるし、何をやるにも人が必要で、そのためにはその人たちの生活を守る人件費が必要だがお金のことが何よりも難しい。そして居場所だけではない(ひいてはすべて居場所のためだが)関わりのためには知識も実践も必要だが若い力が育って盛り上げてくれるような未来がみえている領域ともいいがたい。なくてはならない仕事なのに。昨日は幼稚園教諭で作業療法士の友人も一緒で、みんな若い頃からの知り合いなのでそれぞれの近況報告をしつついろんな話をした。難しいことだらけだが面白い話としてもそれを語ることもできるのはお互いを知っている気楽さゆえ。当時、まだ生まれていなかった子たちの今の年齢にまず驚く、というのを毎回やっている気がするが、その分私たちも老いた、ということも当然セット。昨日伺った場所は土曜日は「こどもの居場所」と「みんなの食堂」という地域の子供たちが気軽にやってこられる事業もやっている。子供から老人まで当たり前のように一緒にいられるようになるにはそういう経験が必要だと思う。私たちはどれも自分が通る道なのになぜか分けてしか考えられないときもある。私たちは重度の障害児と関わってきたのでとても具体的なこととして彼らのことも話すが、そういえばそういう場は少ないような気がする。専門家としてではなく生活に当たり前にいる人たちのことを考える時間と場所。専門家として働いて生活を維持しているわけだから有意義に連動させていきたいな。具体的に話せば話すほど個別の事情が複雑に絡み合っていることがわかるのでなんともいえないとみんなで頭を抱えることのほうが多いがそういうことが必要だと思う。それにしてもみなさんパワフルだった。「もうこれで最後かな」というのをきいて「ここまでこれだけのことをやってこられたのにまだやりたいことがおありなのですね!」と驚くことも会うたびにやっている。ほんとすごい。人生の先輩方をみれば私もまだまだ残りの年数を気にせず色々やれるかもという気もするがフロイトの精読しているうちに人生終わりそう、と思うこともしばしばなので私の時間というものを考えていかねばならない。予測通りにいかないという前提ありきだしどこで終わっても道半ばだろうけど。

昨晩はおすすめの論文ででてきたParsons, M. (2025) Israel–Palestine and the Internal World. International Journal of Psychoanalysis 106:854-855を読んだ。

これはErlich, S. (2025) Is psychoanalysis relevant to the Israeli–Palestinian conflict?. International Journal of Psychoanalysis 106:165-173に異論を唱えるマイケル・パーソンズの論文。

あー、エルリッヒ先生のこの論文、私も読んだよー、なんともいえない、本当に難しい気持ちになったよね、と思いながら読んだが、これはこれでどうなんだ、その精神分析的理解はエルリッヒ先生と十分共有できているところなのでは、と思い、うーんとなっていたら、エルリッヒがパーソンズに応答したものも同じ巻に載っていた。

Erlich, S. (2025) Response to Parsons: Correspondence Concerning the Psychoanalytic Controversies Section on the Israel–Palestine Conflict (Issue 1, 2025). International Journal of Psychoanalysis 106:856-857

うむ。パーソンズの受け取り方の失敗であることもわかるが、こういう対話って本当に難しく、論点が拡散してしまいがちだからエルリッヒの最初の論文に立ち戻りつつ考えることが誠実であると思う。イスラエル出身の精神分析家として、イスラエルの歴史を生きてきた当事者として語ることの痛みを抱えつつ、依頼に応えて書いてくれたものだし。これを最初に読んだとき、言葉を失うような感覚と精神分析のなせること、なしてきたことへの複雑な思いが押し寄せてきた。エルリッヒ先生についてはシガニー賞のウェブサイトを載せておこう。前のページはTAKEO DOIだね。

今日も色々な話をしながら過ごすのだな。みんなはどんな一日。がんばろう。