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ヴァッフェル、メタル、ヒューム

なんだか夜、暑くありませんでした?まだ服装もお布団も真冬と同じなので暑くて起きてしまいました。二度寝したけどなんか暑かったよねという寝ぼけた感覚がまだ残っています。

今朝も京都若菜屋さんのお菓子。「苺クリームヴァッフェル いちごいちえー一期一会」。これもかわいい。開けるなりいちごクリームのいい匂い。私が大好きな系列のお菓子。「ヴァッフェル」ってワッフル?と思って調べたら

「欧米の伝統的なワッフル生地をさっくりと堅焼きし、芳醇なヴァニラクリームを挟んだ長崎堂のヴァッフェル。 」

という大阪の長崎堂さんのサイトが最初にでてきた。なんと。「ヴァニラ」とくっついておるのですか。若菜屋さんのも美味しいです。ありがとう。

ここのところ思いがけずっと色々大変で仕事が進まない。でもそんな状況にも少し慣れて締切を2つ守ったのは守ったことだけ偉かったと思います。内容はともかく。もうひとつは国際精神分析協会(IPA)のアジアンパシフィック地域の大会で出すパネルの原稿。もうダメだと思って1週間締切を伸ばしてほしいとメールしたらbut no later than Friday 5th Aprilということで2日遅れで出しました。日本語で15分間話す分量から随分減らすことになってしまったけどそういうものなのですね。色々素人すぎるけど今回学んだのは締切に遅れると英語でメールを書く手間が増えるということ。これはこれでめんどくさかった。

Spotifyの2024年のデータを基に、どの国でどのメタル・バンドが最も聴かれているかを示す「現在、世界各国で最も聴かれているメタル・バンドの地図」が話題に。”

というニュースを読みながら「へーおもしろーい」となっていた。

”注意点としては「何をメタルと分類するかによって結果が変わること。”

いやあ、そうでしょうねえ。

アジアンパシフィックの大会でご一緒する国を見てみましょう。

Taiwan:Flesh Juicer , Korea:Madmans Esprit , China: Nine Treasures , India: Bloodywood , Australia: Parkway Drive。で、日本はBabymetal

ふむ。早速インドのBloodywoodを聴いてみましょう。おお、インド音楽要素が強い!のにしっかりメタル。面白い。いいですね。

新しい本を読むエネルギーがないので再読ばかりしていたのだけどなんとなくKindleで読んでいない本を読んでみたのです。そうしたら全然頭に入ってこない。入門書かと思ったら博士論文を書籍化したものでした。博士論文の書籍化って多いけど難しい、素人には。まあ、まずは専門の人に役立つのが大事だからいいのだけど。読んでいたのは

成田正人著『なぜこれまでからこれからがわかるのか ーデイヴィッド・ヒュームを哲学するー』(青土社)。副題と目次からして難しいってわかるだろ、という感じだけど題名が魅力的だったのですもの。

教えて、ご本人、というわけで「普及版」といいながら全然普及しなそうな値段の『デイヴィッド・ヒューム 『人間本性論 第1巻 知性について』 (木曾好能訳、法政大学出版局)を読み始めました。さすが、ひとつひとつ丁寧。そう思ったから買ったんだもんね。ちょっとずつ教えてもらうように読みましょう。

さあ、洗濯は終わりましたが資料作りがもう少し。こんなことしてる場合ではなかったよ。どうか良い1日になりますように。

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精神分析、本

マクドゥーガルとかボノーとか。

週末はフランスの女性分析家たちの本を読んだ。

ひとつはジョイス・マクドゥーガルJoyce Mcdougall(1920-2011)のThe Many Faces of Erosの最後のパートPartⅤ Psychoanalysis on the couchのChapter13 Deviation in the Psychoanalytic Attitude。患者との関わりを逐語的に抜き出し主に同性愛に関して多面的な理解を示しながら進んできたこの本だがこの章でのマクドゥーガルは珍しく症例なしで怒っていた。この時代にエロスの領域の臨床を語ることは困難も多かっただろう。いざ臨床場面になってしまえば同性愛のみが大きなテーマになることはなく、マクドゥーガルの症例の記述をみればそれは明らかなのだが、その背景で彼女が何と戦いつつ何を願いつつ臨床をしてきたかを垣間見るような章だった。

もうひとつはエレーヌ・ボノーHélène BonnaudのLE CORPS PRIS AU MOT : CE QU’IL DIT, CE QU’IL VEUT『言葉にとらわれた身体 現代ラカン派精神分析事例集』(誠信書房)の3章 身体に支障をきたすこと(透明な身体、動揺)10章 身体の出来事(症状と語る身体)。ラカン派には珍しく症例中心のこの本が身体とシニフィアンの関係を重要視していることは書名からも目次からもわかると思うが、事例の記述の仕方はIPAの精神分析家たちの書き物と比べると非常にコンパクト。シニフィアンが刻み込まれた身体の出来事を享楽する患者のあり方はよくわかるが治療者の関わりや逆転移はほぼ見えないというか見せない。個人的には患者の症状の背後になんらかの「知」を想定し、それに本人が気づくことを大切にしているんだな、と思った、というかそれって無意識の意識化ってこと。私が読んだこれらの章は非ー意味として身体に書き込まれたパロールをエクリチュールとして関われるようにするという事例が多かったように感じた。

マクドゥーガルは国際精神分析協会(IPA)所属の精神分析家でエレーヌ・ボノーはJacques-Alain Miller率いるthe École de la Cause freudienne (School of the Freudian Cause)のメンバー。 全く異なる書き手の二人は依って立つ理論がまるで異なるが、アンドレ・グリーンが対立するのはECFの人たちらしい。誰が誰の何に向けてものを言ったり書いたりしているかは歴史や背景を知らないとわからないことが多い。ラカン派は自我心理学に対する敵意は顕にするがそれはもうみんな知ってるから言わなくてもいいよという感じがする。読みながら「それって自我心理学のこれでも説明できるじゃん」と思ったりしたがその系列で育ってきたわけではない理論にそんなことをいっても仕方ない。私も最初に中心的に学んだのは自我心理学なので用語には馴染みがあるが臨床を考える時にはだいぶ思考の流れが違うのを感じるのだから安易に置き換えてはいけないなと思った。

なんか眠くてほぼ寝ながら指を動かしているが二度寝したい。でもいかなくては。鳥さんが鳴いておる。今日もがんばろう。

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精神分析 精神分析、本

日本の精神分析家の本

日本の精神分析家の数は多くありません。国際精神分析学会(IPA)所属の分析家でいえば1学級ほどの人数で、訓練のための分析を提供する訓練分析家となると数えるほどしかいません。(日本精神分析協会HP参照 http://www.jpas.jp/ja/

だから精神分析なんて全然身近じゃない、かというとそうでもなく、精神分析家は意外と身近なのです。たとえば土居健郎先生、たとえば小此木啓吾先生、たとえば北山修先生、たとえば、、とあげていけば「あ、この人知ってる」という方は結構おられると思います。

精神分析家の先生方の発信力が強力、というか大変個性的なので、これまた少しずつですが、先生方の本について下記URLのブログでご紹介したいと思います。すでに書いたものもご関心があればどうぞご覧ください。

日本の精神分析家の本(妙木浩之先生)

日本の精神分析家の本(北山修先生、藤山直樹先生

精神分析の本

ちなみに私は、大好きだった合唱曲、「あの素晴らしい愛をもう一度」の作者が、この北山修先生だとは全く知りませんでした。

精神分析ってまだあるんだ、と言われることもありますが、精神分析は特殊な設定にみえて、というかそれゆえに、すごく生活に近く、先生方の本に出てくる人たちはみな、私たちが自分自身のなかにもみつけられる部分をお持ちです。あまり難しいことは考えず、できるだけ無意識にしたがって共有していけたらと思います。