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ドラマ、言葉

いいお天気。昨晩は虫の声がきれいでやっぱり秋になったんだな、と思った。今朝は桃にしようかな。梨にしようかな。果物を送ってもらって嬉しい。

NHKドラマ10「舟を編む 〜私、辞書つくります〜」の最終回を見た。三浦しをんの原作をまだ読んでおらず、原作とは異なると聞いているがとってもよかった。みたあとは言葉に対する意識が変わる。すぐに忘れてしまいそうな言葉への素敵なこだわり。一方、感化されやすく不真面目な私はドラマで見聞きしたものを会話にすぐ取り込みたがる。「それも載せましょう、私の辞書に」など。

私の辞書のキャパは想起の量から見積もるにかなり小さい。想起の量から見積もられるときつい。知識があっても行動しなければ無意味、と言われるのと同じ感覚。いけない。もう頭がふざける方に向かっている。脳内でもっと上手にふざけられれば作家になっていたなんてこともあったかもしれない。村田沙耶香みたいに(『となりの脳世界』を思い浮かべている)。村田沙耶香は大真面目に面白いことを書いているのでふざけているわけではないだろう。それにしても、私の脳世界はなんとつまらないのだろう、と思うことしばしば。

そしていろんな人のお決まりの言葉を思い出す。「こんな私がこの仕事をやっていていいのか」と。なにそれ、どんな私ならやっていいわけ、と即座に言える私でもたまにはそうやって卑屈になる。しかし、選択したのは自分で、誰に強要されたわけでもないのでこの仕事をできるであろうと思った私がいたのだ、絶対。なんの根拠もなく。

これは「好き」とほぼ同義なので単なる万能感ではない。でもこの好きが厄介な場合もあって「好きなだけでやっていいのか」とか言い出してしまう場合もある。「だけ」と言いたくなる場合でも大抵それだけではないのにね。

言葉って厄介で大変だけどそれだから面白い、とかやっぱり厄介。でも厄介払いしない。面白いし好きだから、と戻ってこられる世界だから行動も大事だけど大事なのは言葉にするという行動かも。暮田真名さんの川柳なんかは言葉の意味をいい感じに剥ぎ取ってものとして提示してくれるからそれまでとは違う感じで言葉と関われて楽しい。来月9月には初エッセイ集『死んでいるのに、おしゃべりしている!』が信頼の柏書房さんからでるとのこと。タイトルがまさにまさに。私がウィニコットやオグデンの使うaliveを探求するのはそれが死とくっついているからなんだけど、こういうタイトルって軽やかにそういうことを言っているような気がする。こじゃんと楽しみやき(朝ドラの影響。高知の言葉楽しい。健ちゃんの「〜しんしゃい」も大好き)。

どうぞ良い一日をお過ごしください。