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写真

戦後

1945年8月15日の玉音放送から81年。今日は終戦記念日。遺族の半数は戦後生まれの時代になった。戦争が終わってまもなく生まれた人が妊娠中の母と軍の工場だったかどこかに勤務していた父から聞いた話を聞かせくれたことがある。その話はやがて幼い頃の自分の話に変わり、いろんな大人たちが登場した。戦争の文脈でないとでてこないような話ってある。

先日、NHKの特集ドラマ 「手塚治虫の戦争」をみた。それに合わせて手塚プロダクションが電子書籍割引企画『手塚治虫と戦争』(9月5日まで)をやっている。ドラマの原作は『紙の砦』。野内まる演じる京子ちゃんが踊るシーンに泣いてしまった。

大量の写真をHDDにうつす作業にだいぶ時間を使ってしまった。私のアンティークMac Book AirのOSが古くてもうできない作業があるということにやっと気づいた。まあ整理をするだけなら問題ないのでどの作業ができなかったのかも忘れてしまった。お花と空と食べ物の写真ばかりだった。よく食べてる・・・。若い頃の友人のお墓参りにいったときの写真もとればよかったなあ。もうずいぶん年月がたってお子さんもその友とよく似た歩き方、話し方をする子に育った。あなたと似て面白い子だから安心してほしいな。お寺のリンドウと鴨と最寄り駅の写真しか撮れなった。帰ってから一緒にいった友人からみんなで写真をとればよかったねとLINEがきた。ほんとだね。多分みんなどこかでそう思ってはいたんだと思うよ。ただ、なんとなく撮れなかったんだと思う。当時の写真はみんな焼き増しして渡しあっていて当時の友人を知らないご家族もそれをもっている。その日、誰も写真をもってはいなかったかけど「あの写真は」ですぐに通じた。

3歳の時に戦死した父の写真を持ち続けている人のことを思いだす。小さな小さなその写真をみては育ての親とは全く異なる思慕をみせる姿も心に残る。親を亡くし、別の親に育てられ、自らも親になったその人にとって、戦争は全く遠くないだろう。私たちの親世代の多くはそうではないか。彼らが無事に生まれ、成長しなければ私もこうして存在してはいなかった。生まれてしまえば色々あるけどそれでも生き延びれば別の色々とも出会える。ずっと泣いていてもしょうがないと立ち上がっても思い出に触れれば泣いてしまう。喪失を抱えながら、再び失いたくないという気持ちも抱えながら大切な人を大切だと何度も認識しなおしながら過ごしていることに普段は気づかなくても今日は意識するかもしれない。

関東は今日もまた雨が降るらしい。千葉豪雨の被害も深刻だ。せめて暑さが和らげばよいが。

良い一日になりますように。

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テレビ 短詩 精神分析 言葉

ドラマ、言葉

いいお天気。昨晩は虫の声がきれいでやっぱり秋になったんだな、と思った。今朝は桃にしようかな。梨にしようかな。果物を送ってもらって嬉しい。

NHKドラマ10「舟を編む 〜私、辞書つくります〜」の最終回を見た。三浦しをんの原作をまだ読んでおらず、原作とは異なると聞いているがとってもよかった。みたあとは言葉に対する意識が変わる。すぐに忘れてしまいそうな言葉への素敵なこだわり。一方、感化されやすく不真面目な私はドラマで見聞きしたものを会話にすぐ取り込みたがる。「それも載せましょう、私の辞書に」など。

私の辞書のキャパは想起の量から見積もるにかなり小さい。想起の量から見積もられるときつい。知識があっても行動しなければ無意味、と言われるのと同じ感覚。いけない。もう頭がふざける方に向かっている。脳内でもっと上手にふざけられれば作家になっていたなんてこともあったかもしれない。村田沙耶香みたいに(『となりの脳世界』を思い浮かべている)。村田沙耶香は大真面目に面白いことを書いているのでふざけているわけではないだろう。それにしても、私の脳世界はなんとつまらないのだろう、と思うことしばしば。

そしていろんな人のお決まりの言葉を思い出す。「こんな私がこの仕事をやっていていいのか」と。なにそれ、どんな私ならやっていいわけ、と即座に言える私でもたまにはそうやって卑屈になる。しかし、選択したのは自分で、誰に強要されたわけでもないのでこの仕事をできるであろうと思った私がいたのだ、絶対。なんの根拠もなく。

これは「好き」とほぼ同義なので単なる万能感ではない。でもこの好きが厄介な場合もあって「好きなだけでやっていいのか」とか言い出してしまう場合もある。「だけ」と言いたくなる場合でも大抵それだけではないのにね。

言葉って厄介で大変だけどそれだから面白い、とかやっぱり厄介。でも厄介払いしない。面白いし好きだから、と戻ってこられる世界だから行動も大事だけど大事なのは言葉にするという行動かも。暮田真名さんの川柳なんかは言葉の意味をいい感じに剥ぎ取ってものとして提示してくれるからそれまでとは違う感じで言葉と関われて楽しい。来月9月には初エッセイ集『死んでいるのに、おしゃべりしている!』が信頼の柏書房さんからでるとのこと。タイトルがまさにまさに。私がウィニコットやオグデンの使うaliveを探求するのはそれが死とくっついているからなんだけど、こういうタイトルって軽やかにそういうことを言っているような気がする。こじゃんと楽しみやき(朝ドラの影響。高知の言葉楽しい。健ちゃんの「〜しんしゃい」も大好き)。

どうぞ良い一日をお過ごしください。