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TEACCHプログラムの勉強会にでた

コロナ以前から遠方の方のスーパーヴィジョンや読書会でzoomやSkypeは使っていたけれど大人数に向けて(講義)使うのははじめてだった。今は対面で学生たちと会えるようになったけど、様々な感覚の違いを体感できたのは収穫だった。身体の潜在性と表現力。

私の場合、講義は一コマのみで仕事のほとんどは一対一の対面あるいは平行、あるいはカウチ使用(背面になるかな)の臨床なので、そこで身体が持つ意味を見直すのに良い機会だった。

受講する側としては、オンライン講義、録画視聴の講義が増えていることは助かっている。移動時間を考えなくていいとなると参加できるものが増えるのだ。今回、出たのは昔から馴染みがあるのに最近の動向を書籍以外では追えていなかったTEACCHプログラムのオンライン勉強会。グループに分かれて現場の人たちとワークもできた。

TEACCHとはTreatment and Education of Autistic and related Communication handicapped Childrenの略である。TEACCHプログラムとは、アメリカのノースカロライナ大学のE.ショプラーの研究を基礎に始まった自閉症の方、そのご家族、支援者の方を対象とした包括的なプログラムのことだ。日本には児童精神科医の佐々木正美先生が導入し、今は療育の領域ではよく知られている。

これは簡単に言えば「自閉症(今ならASD)の学習スタイルの側から考えて療育の枠組みを整えよう」というものである。当たり前では?と思う方もおられるだろう。または、彼らも私たちと同じこの複雑で見通しの立てにくい社会で生きていかねばならないのだからそんな特別扱いせずに体験させていかなくては、という子育て観をお持ちの方もおられるだろう。

後者の場合、これは本人だけでなく周りの負担も大きく、非効率的だろう、というのが私たちの理解である。私たちは基礎がないのに難しい問題を解くことはできないし、「わからない」体験は「わかる」体験をしてからのほうがどこがわからないかをわかるようになるので、「ここまではOKだからここから始めようね」という具体的な計画が立てられ、むやみに自信をなくしたり混乱したりせずに済む。できないことをやらされる、あるいはやらせることはどちらにも無理があり、負担が大きい。これはASDの支援でなくてもいえることだろう。

今回、参加したTEACCHプログラム研究会の「自閉スペクトラム症の特性理解」は録画視聴とワークショップの二部構成で、ASDの特性理解と構造化(今はStructure TEACCHingというらしい)について事例を用いて丁寧に確認ができた。内容は以前とそれほど変わっていなかったが、より精緻化されている気がした。

私は当時、コミュニケーションとしての言葉をほとんど使うことのできない重度の自閉症の子どもや大人と関わっていたが、私が学んだ時代はまだ親も支援者も試行錯誤の連続だった。様々な勉強会に出たり、月刊『実践障害児教育』などの雑誌で連載されていた講座などを読みつつ支援策を練っていた時代が懐かしい。

理解されないということも辛いが、理解ができないということも本当に辛かった。今だってそういう局面はたくさんあるに違いないがASDの理解は以前よりもかなり浸透しているといえるだろう。そして確かな理解に基づいた枠組みを提示できる現場の人も増えつつある。とても重要なことだ。特に保育園や幼稚園、小学校という早期の教育現場をサポートするときはASDかどうかにかかわらず、その人の特性に立って、その人の側から理解するための視点をわかりやすく提示し、具体的な枠組みづくりを提案してもらえたら現場はとても助かるし、なによりご本人が世界や社会を過剰に怖がらずに過ごせる確率はあがるだろう。

様々な現場でASDの子どもや大人、そしてその周りの方々と仕事をしている専門職の皆さんと話しあいながら行動評価をできたことも楽しかった。講師の諏訪利明先生にアイコンタクトのことで質問できたのもよかった。

療育の現場は言葉以前に感覚、身体そのものという生身で距離の近い関わりが中心だが、だからこそ支援する側がそういう現場から離れてオンラインくらいの距離で言葉でやりとりすることも時折必要なことでもあるのかもしれない、と思った。

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「その後」

昨晩は『フロイト症例論集2 ラットマンとウルフマン(藤山直樹編・監訳、岩崎学術出版社、2017)』のラットマンの部分、つまり「強迫神経症の一症例についての覚書(一九〇九)」を読了。

昨年度からオフィスで始めた小さな読書会。4月から新しいメンバーを加え2年目をスタートさせたけど、コロナの状況を考えてまだ一度も対面でお会いできていない。

昨年度は同じく岩崎学術出版社から出ている『フロイト技法論集』をちょうど一年かけて読み終えた。今回のラットマンは
 Ⅰ 病歴の抜粋 Ⅱ 理論編 というシンプルな構成。1ヶ月に1回2時間で4ヶ月、8時間で読んだ。強迫神経症の症例としても、転移を扱わなくてもよくなった症例としても、フロイトとラットマンの幸福な時期の描写としても読める本である。

ラットマンという名前は彼の病歴からとっている。私も自分の問題に名前をつけるとしたら何かな。病名よりはその人固有の感じが出る方がいいなと思う。

ラットマンはフロイトにお母さんのようにお世話をされ、陽性転移の中よくなっていくが、第一次世界大戦で戦死する。だから「その後」は「戦死」以外、分からない。

ウィニコットの子どもの治療記録『ピグル』に出てくる女の子は50年後にインタビューに応じている。

死に方には色々あるし、いつどうなるかは誰にも分からないけど、できたら「その後」を死以外のなにかで伝えたり、伝えられたりしたいな、と思う。