カテゴリー
精神分析

ミュート

PCでTwitterを使っているときになにかを押してしまったらしかった。「自分をミュートすることはできません」と画面にでてきた(と思う)。「そりゃそうでしょ」と「え、そうなの?」が同時に出てきた。正反対のことを思ったのはどっちも私であるらしく、そう考えると「自分をミュートする」ということを無意識的にはやっているのではないか、という気にもなった。自分で自分を拒む、拒むまで行かなくても制限する。

自分なんて曖昧なものだ。いつも思う。あの人は「本当は」どんな人なんだろう、と悶々とすることはあれど、その問いが自分に向けられればやはり「わからない」となる。似たようなことは昨日も書いた。だって毎日そんなことを考える出来事と出くわすから。むしろそんな出来事を紡ぐのが仕事でもある。

「わたし」でなにかを感じ、なにかを考え、発信したりしたとしても、それが「本当」かどうかなんて怪しいものだ。ただここでこうした曖昧さを感じながらこうしている。
そうこうしているうちに夢をみることもある。

生まれてはじめてみた夢はどんな夢だっただろう。そこに「わたし」はいただろうか。誰かはいただろうか。そこに形なるものはあっただろうか。

一瞬、眠ってしまった。あの場面だ。あのとき、なにかを意識していたわけではないのにこうして夢で見る私はたしかにあのときのわたしの情緒を伴っていた。思い出そうとして思い出せるようななにか印象に残った場面でもなんでもない。だけどこうしてみせられればたしかにその場面を私は経験した。そしてその夢に音声はなかった。わたしは少し振り返り、私より背の高い人になにかを答えていたのだが、わたしがしたのか誰がしたのかミュートだった。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生