薄い曇り空。お茶がなかなか冷めない。朝は向こうの通りを走る車の音を背景に早朝に開くドアや窓の音が響く。
昨日、18時の鐘の音をきいた。オフィスでは神宮球場の花火の音はきこえるが寺の鐘の音はきこえない。昨日5月5日は立夏、東京の日没は18時31分だった。鐘の音がきこえたとき、まだ空は明るかった。
この前、美術館の庭で蚊に刺されたところが痒い。長袖をきていたのに首と手の甲と掌をやられた。私は一度刺されるとなかなか治らずずっと痒いし、掌はほんとうにやめてほしい。ただでさえ散漫な注意がさらにそれやすくなる。すぐに気づいてペッて追い払ったのに手遅れだった。もう蚊の対策もしないといけない。
先日、イタリア精神分析協会Società Psicoanalitica Italiana (SPI)の精神分析家 Anna Maria Nicolòの思春期研究の本Developmental Ruptures: The Psychoanalysis of Breakdown and Defensive Solutionsの(2024)ことをメモ的に書いた。
『発達的断絶(Developmental Ruptures):崩壊と防衛的解決の精神分析』
2015年のInternational Journal of Psychoanalysisに掲載されたNicolò, A. M. (2015) Psychotic Functioning in Adolescence: The Perverse Solution to Survive. International Journal of Psychoanalysis 96:1335-1353「思春期における精神病的機能:生き延びるための倒錯的解決」もこの本に所収されているか、よりまとまった形で書いてあるのだろうと思う。
どの発達段階にあっても崩壊の危機は常にあるわけだが、先日、ソウルで行われたIPAのアジアパシフィックカンファレンスでいろんな国の人の話を聞きながら東洋と西洋では崩壊に対する感覚が異なるように思った。多くの分析家や患者の人生を変えたホロコーストの話題がでると特にそう思う。ここ数年、続いていた日本の精神分析協会内部の葛藤状況に思考の場を設ける役割をとってくれたエルリッヒ先生は1937年生まれのドイツ生まれのユダヤ人で幼いときに「水晶の夜」も体験し、ドイツを出てイスラエルで育った精神分析家である。戦争によって異なる立場になった様々な国の人同士に対話をもたらすグループを運営してきた臨床家であり、その成果は論文で読める。エルリッヒ先生は今はイスラエルとパレスチナの戦争によるIPA内部の葛藤にも取り組んでいる。海外の精神分析家たちと関わることは戦争が終わっていないことを実感する機会になる。
実感から入ると実際には会っていない精神分析家の論文の読み方も変わる気がする。私はエルリッヒ先生がその日、戦禍のイスラエルからいらしたことにインパクトを受けた。
イスラエルにはYolanda Gampelという訓練分析家もいて、ホロコーストを含む社会的、政治的暴力の影響に関する論文を書いている。
Gampel, Y. (2020) The pain of the social. International Journal of Psychoanalysis 101:1219-1235で著者はいう。
「イスラエルでは、私たちの生活が、気づかぬうちに単なるサバイバルになってしまったのだと思う。暴力的な死――現実の、あるいは潜在的な死――、世界の中にひとつの場を保ち続けようとする圧力、自らの存在を個人的な仕事の範囲に限定できない悲しみ、文脈から絶えずもたらされる悲嘆、これらすべてが私たちを摩耗させる。それは、私たちが自分の潜在力を発展させることを許さない。私たちが選び、望んでいるこの現実が、私たちを幽閉している。それは、最低限の自由さえ私たちに否認する。」
著者はbackground of the uncanny(不気味さの背景)という言葉をサンドラーのbackground of safetyを射程に使用する。これは社会的暴力や戦時のように患者と分析家が同じ外傷性状況に巻き込まれている場合、臨床の基底は「安全」から「不気味さ」にとってかわり、精神分析臨床においては転移ー逆転移に揺さぶられるframe(枠)をどう考えていくかが課題となる。
精神分析の枠についてはBleger J. (1967). Psychoanalysis of the psychoanalytic frame. International Journal of Psychoanalysis 48:511–519.が古典だと思うが、ペレルバーグがCOVID-19のときの体験を書いた以下の論文はこれらを参照しながら書かれたものである。
Perelberg, R. J. (2021)が The empty couch: Love and mourning in times of confinement. International Journal of Psychoanalysis 102:16-30
精神分析は分析家自身もトラウマの中にありながらそれを理解、記述していく学問であることをこうやって何度も思い出しながらやっていくんだなと思った。
GWも今日でおしまい。私は校正作業に費やすことになりそう。まとまった時間は貴重。東京はこれから気温があがったりするのだろうか。相変わらず調節難しいけど体調に気を付けて過ごしましょう。

