カテゴリー
精神分析

ラッパ、小径、猫

ラッパみたいに白くて大きな花を首を垂れるようにして咲かせているお花がその小径の目印になる。毎朝遊歩道を彩る花々を愛で時々写真に撮りながら歩いているが名前を言えるのはほんの少し。私がいろんなことを覚えられないのはお花のことだけではないのでもう仕方ないとして、お笑いでも作家でもなにかとなんでも詳しい俳句仲間たちが割と私と似たような感じでお花の名前を知らないのは興味深い。すごい数の俳句を空で言えたりするのに。あれ「空」でいいんだっけ。誦?まあいいか。「空で言う」なんてなんか素敵だものね。

そうそう、早朝から脱線している場合ではない、というほど今日はバタバタしていない、というかなんとなく毎朝こうするのがリズムになっているだけでノルマでもなんでもないし、これを書くぞ、と決めているわけでもないのだから脱線とかないよね。線路がないよ、元々。

お花の名前って調べるのに覚えられない。さっきも「ラッパ 白い大きな花」で検索した。「エンジェルストランペット」だって。え?そのまんま?いや、エンジェルの、とは思わなかった。確かに天使ってああいうラッパ吹いてる。トランペットね、なるほど。熱帯花木ですって。「天使のラッパ」で調べたら「黙示録のラッパ吹き」のウィキペディアがトップに。クリックしないでも見える範囲に

“黙示録のラッパ吹きは、『ヨハネの黙示録』に登場する災害の前触れとなる7つのラッパを吹く7人の天使達。”

って書いてあった。まあ・・・。やめてよね、そういう合図鳴らすの。でも「きみたちがラッパ鳴らしたせいでこんなことが起きたんだからね!」と怒るのは多分違うな。見かけからして彼らのアイデンティティって奪われてるものね。神様、やめて、ってことになるかしら。

昨日は「心理師(士)×言葉」イベント第一弾で公認心理師でアーティストの松岡宮さんの「小屋」へ行ったのだ。松岡さんはこの一軒家で障害のある方々のピアサポートをされていて、そうだ、この小屋のことを「公認心理師のいる白い小屋」と書いていた。そうだ、と思ったのは、とまたどうでもいいことを書こうとしてしまったけど戻ろう。この「小屋」が下の写真にある小径にあって、その入り口にこのラッパ花(こう言い換えるから覚えないのか)があったの。道に迷ってしまってもこれが目印になるかしらと思って写真に撮ってTwitterに載せた。松岡さんは「毎日来てるのに全然気づかなかった。やっぱり感性が」とか言ってくれたけどそのあと行ってみたらオレンジ色の車が停まってて見えなくなっていた。そっか、駐車場だもんね。松岡さん、感性とかではなくて視覚的に見えていなかっただけかもしれません…。しかも毎日きている松岡さんが気づいていないなら目印にはならなかったな、多分。

イベントのことを報告がてら書こうと思っていた気がするのだけど迂回に次ぐ迂回。寄り道しかしてこなかったからかな、幼稚園の頃から。田舎だからサイロ近くの小径を牛に塞がれて(牛にしてみたら座ってただけなんだけど)しばらく牛と見つめ合いながら立ち尽くしたあとトボトボ引き返してそこから走って学校へ行ったこともある。

昨日は少人数でそれぞれの現場での話をちょうどよく具体的にしながら言葉で表現することについていろんな話ができた。いつもならこう書き始めればサラサラ書けてしまうのだけど昨日のは多分書きたくないんだろね、私。荒井裕樹『まとまらない言葉を生きる』をなんとなく参考文献のような感じでツイートしたけどまさにそんな感じ。とても言葉にはできない曖昧でギリギリのところでなんとかやっているような仕事なんだな、この仕事。改めてその部分を自覚できてよかった。

そうだ、「地域」という言葉の使い方についてややピキッとしたね、私は、昨日。はっきりとは言わなかったけど。元々曖昧な区分でしかないこの言葉を「閉じる」方向で使用することに対しては今後もピリッとしていきたい。ピキッとするよりは。

良い時間、良い小径でした。猫と見つめあったり見送ったりしていたら松岡さんがちょうど玄関から出てきて「猫ちゃんいました?」と。いつもいる猫さんなのね。「今写真撮ってました」と答えたその中の一枚がこちら。

今週も始まりますね。またとっても暑くなるみたい。どうぞお大事に。