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立秋と二度寝

虫の声だ。今年も立秋の日にそう思った。夜が急に静かになった。

新宿駅西口を出て歩いているとどんどん蝉の声が大きくなる。新宿中央公園全体の形が自然に脳内に描かれるのはこの季節だけだ。

光と音でその距離を測れることを子どもの頃に知った。地元は雷が多い土地だった。空が真っ白に光りしばらくすると遠くから地鳴りのような音が響いてくる。それが一気に集まりバリバリっと空を破るときは近い。光が鳴ってからそれが聴こえるまでの秒数を数えるまでもなく近い。当時はとても怖かった。実際にあった怖い話もたくさん聞いたからだろうか。ゴロゴロ、ゴロゴロという音が少しずつ遠ざかっていく。あの人の街はもう通り過ぎた?自分では超えられない距離を想う。

音で距離を測り空間の形をつかむ。近所の森でアブラゼミが鳴き始めたが鳥の声がかき消されない程度になった。新宿中央公園は30年近くずっと身近で園内の地図だって何度かみている。思い浮かべたのはその地図だったのかもしれない。公園に入ると音は上から降りはじめる。何種類もの紫陽花はフェイドアウトして鳴りを潜めている。あるいはすでに切り取られた。繰り返す生に切断を持ち込む。現状維持のためか、これからのためか。紫陽花同志ではそんなことは起きないから考える必要もない。

立秋。気候変動を肌で感じているつもりだがなぜこの日に秋を感じるのだろう。「夏ってこんなに暑かったっけ」と毎年思うのだから私に掴めるほどの変化は起きていないのか、もしくは季語が持つ力か。それを秋と感じる仕方はきっとあまりにも多様だ。

じっと考えこむ。答えなどないというか問いにすらできない事柄を。問いの形にしてしまえば何かを言いたくなってしまうかもしれない。みなかったこと知らなかったことにできたとしても。いやできない。見えたものは見えたもの。秋がきた。秋と名付けられた自然現象のなにかをそれぞれが掴み取ってそう思う。問わずともそれの仮の名前はそれであり、私にとってのそれもそれである。ただそれだけ。なんだか眠くなってきた。その場しのぎしよう。ちょっと二度寝しよう。