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精神分析

中井久夫の本

3時過ぎ、揺れを感じて起きた。地震ではなかったらしい。

昨日、店が開くのを待ちながらTwitterを見たら友人が中井久夫死去のニュースを流していた。そうか、ついにと思った。

揺れを感じて目が覚めるなり中井先生のことを思った。大地震が来るような気がして少し怖かった。先生というほど直接的な関係はない。講演は聞いたことがある。本はずっと読んできた。引用もした。中井先生の下で働くために神戸へ越していった知り合いは数年前に亡くなった。東日本大震災の時、阪神・淡路大震災以降に先生が書かれたものを読み直した。土居健郎先生との交流が心に残り彼らと付き合いの長い分析家の先生と話した。

私が自分の書いた論考で引用したのは『徴候・記憶・外傷」(みすず書房)の主に外傷性記憶についての文章だった。この本は1995年阪神淡路大震災以降に執筆された論文を集めたもので、エピグラフのあるものとないものがある。

私が繰り返し読んだ「外傷性記憶とその治療ー一つの方針」のエピグラフは中井久夫が愛し、訳したポール・ヴァレリー『カイエ』からの引用である。

“体の傷はほどなく癒えるのに心の傷はなぜ長く癒えないのだろう。五〇年前の失恋の記憶が昨日のことのように疼く。”

中井久夫が翻訳について書いた文章もまさにまさにだ。先日、「言葉の可能性を探る」〜心理士(師)が地域でひらかれるために〜というテーマでイベントをしたときに参考文献を写真でツイートしたが、その中の一冊『私の日本語雑記』(岩波書店)は今年最初に文庫化した。

中井先生は描画の天才でもあるがその言語感覚にはこれからもずっと刺激され続けるだろう。言葉がいかに人間を作り、動かしていくか、中井先生の言語での描写には静かな危機感が滲むようで私のような一読者の言語使用をとどまらせ再考を促す一面を持つ。

3時過ぎに起きて二度寝してしまったせいか少し疲れた。さっき調べたらその時間に実際に地震があったらしい。あの震災の体験を生き続け書き続け伝え続けた中井先生の言葉がこうして残っていることに気付かされる体験だった。