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精神分析

声が届くうちに

ずっと感じていた違和感がなにかなんてずっとわかっていたはず。涙が止まらなくなった。

「ふつう」が揺らぐ。追い詰められる。こうやって乗っ取られていくのだと思った。

追い詰められ、乗っ取られる恐怖を感じながら、自分の「ふつう」が脅かされたのは私ではなくあなたなのだと思う。私はあなたの突発的な怒りの表出に脅かされたのだから。

私は脅かされなくなる。

でもこのわからなさが不気味さであり、とても人間味を欠いたものであることと改めて認識する。「やっぱり」という気持ちと戸惑いで少し呆然とする。

先日、中国、韓国、台湾、インド、オーストラリア、日本の専門家たちと話し合ったことは私を少し変えたようだった。

周りに指摘された。

英会話をやらねばやらねばと思いつつほとんどしないまま当日になってしまったが原稿を作るプロセスで英語を使って考えている部分が多くあったらしかった。

以前、ロサンゼルスで中国の子供たちとなんとなく仲良くなってテニスをした時の感覚だった。言葉の壁を全く感じなかった。いろんなことを話して笑ったのに。

英語は絶対的に拙かったのだが議論は時間が足りないほどだった。表現することでその対象が自分にとってどれほどどのような思い入れがあるものかということを実感した。たいして使えていないが生活になんら支障を感じない母国語で議論していたら、こんな身体感覚は生じなかっただろう。

異質なものと出会う。この仕事はそれの連続だ。共有できるのは日本語は話すけどお互い全く別の人間だという事実だけ。そこでお互いの持ち物(私の仕事では言葉)をどう扱うか、どう許容していくかがその後に関わってくる。その言葉がここで生じたのは相互作用だと考えるから。

そういえばそこばかりいく居酒屋の店長の耳が遠くなっていた。「聞こえないな」と少し苛立ちながら呟く店長の声をカウンター越しに聞いた。声が届くうちに。そんなことを思った。