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ふり

どうして「自分は別」と思えるのだろう。それはそう思える環境を作っているから。そういう自分を守ってくれない相手は突き放せばいいだけ。簡単簡単。

簡単?マニックに乗り切れるうちは。その小さな王国の内側で戯れているうちは。

裸だよ、あの人。そんなこといっちゃだめ。ほんとのこというと嫌われるよ。

でもそれって「本質は」とかいうやつでしょ。その人を見てたわけじゃないから気づいたんでしょ。なんでも口にしちゃうのはそれが何であるかなんて気にしていないからっていうのもあるでしょ。ってことはその人が誰だか知っていたらそうは見えなかったかもしれない。わかったふりってよくないことみたいにいわれるけど世界ってそんな確実じゃない。曖昧だもの。わかったふりから始めるしかないんじゃない?

覚えてる。あなたがはじめてお城の絵を書いたときのこと。囚われたとはいわないけどそう見えたお姫様のこと。家も定まらない、親も定まらない、この世界のどこに定点を見つければ?どこからスタートすれば?あなたの書いたお城には大きな門があった。「囚われたほうが幸せじゃないの?」あなたは言った。

自分はあんな人たちとは違う。そうかもね。そしてそうじゃないかもね。自分は特別ではないけどそういう奴らとは別?そうかもね。そしてそうじゃないかもね。正直どっちでもいい。どうして比べる必要が?堂々と誰かを好きになって堂々と誰かを突き放せば?そういう奴らと違うのならきっと大丈夫だよ。その罪悪感に耐えられずなにやら曖昧なものをまとってしまうのも私たちだし。

あなたが私に向けた敵意。「お前に何がわかる」。わからない。あなたが私を他の大人とは違うと認識した途端あなたの怒りは強まった。「あの人、裸だ」そういえなくなった。無邪気さは特定の対象として見ていなかったから。環境は自分で作れると思っていたから。

空想。現実。夢。現実。現実がいつも少しだけ優勢。今夜はどんな夢をみるのかな。今日を消すことも明日を消すこともできないけれど。

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三日月

夜遅くまで「心を無にしてがんばるんだ」と書類を作っていた。「心を無に」は全くできなかったけれどある人のデータ整理の仕方を真似したいなと思っていたら全く別の形式なのになんとなくうまくいっていつもの半分くらいの時間でできた。帰り道、坂道の向こう、西の空に大きな三日月が出ていた。「三日月なのに大きいなあ」と思ってから「三日月でも大きいか」と前の晩と同じことを思った。

今朝は秋川渓谷のおみやげのおやきを食べている。トースターで温めてカリカリ。つぶあんとカボチャ餡を半分ずつ。秋だねえ。秋川渓谷だけに。私は学生時代、檜原村の施設で重度の自閉症の人たちと週末を過ごしていたのであの辺は懐かしい。彼らは私と同年代の人が多く、当時は20代。女性はひとりだけだった。彼らとドライブして温泉のお土産さんに入ったことはあるけど温泉にはいったことがない、そういえば。温泉は難しかっただろうなあ。彼女との入浴は私が担当していたのであれこれ思い出す。大パニックも彼女の鼻歌を真似してなんとなく穏やかな時間を過ごしたのも懐かしい。山の中をよく散歩した。迷ったときも地元の人が助けてくれた。地元の人はここの施設の人たちだと知っていてくれたので彼らがパニックを起こすこともなかった。食べ物が導く記憶はなんとなくいい感じだな。一方、重度の障害者に注目が集まるのはよくないニュースの時が多く、そこにどんな人たちがいて何がされているかは知られていない領域だ。毎日ひっそりと暮らす彼らや彼らと過ごす職員さんたちへのサポートに関する研究と実践が積み重ねられていくことを強く願う。

今晩も三日月が沈むまでには帰れるだろう。週末は英語を話さなければならなくてこんなのでマジでどうするのと思っていたけれど同じグループに仲間が振り分けられていてとっても安心した。彼らが通訳してくれるわけではないけれどいてくれるだけで嬉しい。

今日もいろんな思い出や気持ちを支えにがんばりましょうかね。東京は爽やかないいお天気ですよー。遠くのみんなも元気でね。あ、遠くの人にお返事するのを忘れていた。今思い出しました。こういうこともあるけどなんとかやりましょ。