ひとりアンビバレントもふたりからそしてその周りから生じたものだけどそこにとどまって言葉をまつだけの人はやっぱりひとりぼっちだしひとりぼっちにさせていることに気づかない人は二人あるいはそれ以上のふりして人の気持ちがわからないという意味でひとりぼっちだと思う。わかりたくないとしたらなおさらそう。
自分の邪魔をする人は中に入れてあげない。自分を気持ち良くさせてくれる相手が好きなんだ。
「そうなんだね」しかない。
そういう人は一見人気者に見えるかもしれないけれどよく見れば、いや見なくても、その支持者はいつも同じで広がりがない。とても狭い世界で、変わらない自分のあり方を愛してくれる人が集まっていればそれはそう。
でもこういう心性は誰にでもあって一部で人気の人たちみたいに偽装上手になれない人にとってはものすごい不適応の原因となったりする。同じ心性をもって同じように自分自分自分なのに、と思うかもしれないけど偽装できるって大事で剥き出しの自分を隠せずにいたらそれは受け入れてもらえない可能性が高いに決まってる。
「決まってる」のかなあ。
「おまえもじゃん」と言い返せる力がないから口のうまい人たちと差ができちゃうのかなあ。同じじゃん。むしろ内と外が違いすぎるおまえたちの方がいろんな人傷つけててやばいじゃん。
比較になんの意味もない。自分はどうするんだろう。自分はその人とどうするのだろう。これからどうしていくのだろう。結婚とか出産とかが大きな節目になるのは二者関係の重みが際立つからというのもあるだろう。責任が問われる。でもそれさえいくらでも見て見ぬ振りができる。自分がどうありたいか。相手を相手の歴史を相手の状況を考えられる人は自分もそうしてきてもらっているはず、と考えていいのだろうか。逆にそうしてきてもらっていないから仕方ないと諦めるのってだいぶ違うと思うけど。
こんなことも考えていてもしょうがない。いやしょうがなくない。行動につながることだから。めんどうだけどしかたない。そういうものそういうもの。