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精神分析

寝不足、聞き方、当たり前

寝不足のまま冬が終わった、とか書けるのは朝が暖かくなってきた証拠だ。寒いうちは寝不足よりも寒さに気を取られてびびっていた。毎年寒さにびびりすぎているがそれ以外になすすべなしなまま今年も寒さが緩んできた。慣れないことに慣れた。毎日まだ暗いうちから起きて何かはしているがそんなだったら寝ていたほうがいいのではないかというグータラな時間を過ごすことも多い。むしろその時間がほしくて起きてしまうのか?わからん。まあ寝不足にも色々あって不安と疑惑に苛まれ真夜中に目を覚ましスマホをみて予想通りのことを目にし予想通りにも関わらず苦しくて眠れない、という日々を過ごす人もいればなんとなく寝たり起きたりしているうちに朝になっているけどそれなりに元気みたいな寝不足もある。私がお会いする方の多くは睡眠に関してなんらかの困難を抱えている。使われる薬は同じだとしてもそれについての描写は様々だ。とはいえ、それでもやはり睡眠や食事は生活の基本なのでほかに話されることとは少し聞き方も異なりサクサクと抑えておかねばならないことを聴取したりする。何年も医師にも並行してかかっている人でも医師の前では「お変わりありませんか」「はい」みたいなやりとりをしてしまい、あちらが色々選択肢を準備してくれたとしてもなんとなく全部「大丈夫です」とか言ってしまう人も少なくない。こちらで話を聞きながら「お医者さんに言ってみました?」「(首を横にふる)だって先生(医師)忙しそうだし」という人もいれば「なんていえばいいんですか」といつもそこからみたいな場合もある。そういわれると「あ、そこからだったか」とわかるので助かる。

私は精神分析だけやっているわけではないというか精神分析を求める人というのはそう多くないのでいろんな形でいろんな方とお会いしていくわけだけど話をよく聞いてその人がなにを言いたいのかを教えてもらうのはお互いにとって有意義だと感じるしなんらかの驚きがたくさんあるので驚く(楽しいとか面白いとかも違うかなと思って)。精神分析はよくわからないけどむやみに嫌味や批判の対象にされやすい。否応なく相手がいる場所で自分の言葉を発し続けることで自分のモヤモヤや自分でも受け入れ難い考えと出会って(相手がいるってそういう機会だから。)それに対する自分の態度に「あれ?」と思ってSNSとかではなくずっとそこにいる治療者に違和感をぶつけてみたりしながらいい悪い正しい間違ってるとかの基準ではない見方で自分が他人や状況をどう体験しているかに気づいていく。あえて目的というなら今とは違う目と耳と身体で体験し言葉にしていけること、だろうか。ダラダラダラダラしゃべっていても「なんで自分こんなダラダラしゃべってんの」と気づいて止まって「ああそういえば」と一見全く繋がりのないことが想起され話されたりする。それの連続。よく勘違いされるように過去に因果関係を求めているわけではなく、過去から続いている今の自分がこんな苦しいのはこういう見方や行動と関係あるのかということを聞き方を知っている治療者の前で話すことで体験、吟味しなおし、たとえ今こんなにダメな気持ちで何もできないとしても自分がダメとか誰かのせいとかそんな単純なものではないんだなということにじっくり触れていく。それが衝動的な行動化や身体化の予防にもなっていく。そのための手助けをしている。そしてそのための訓練をしている。確かにエヴィデンスとは馴染みにくい方法ではある。でもそれについて実践的に学んだことやある基準を満たしている分析家のもとでそれを体験したこともない臨床家(こんな前置きつけずとも「臨床している人が」)が国際的に実践と研究が積み重ねられ続けている技法に対してとても学問的とは思えない口ぶりで何か言っているのをみると当事者の言葉や体験を大切にするって仕事だとしても本当に難しいんだなと思う。エヴィデンスが足りないという理由で「正しく」ないもの、自分にとってなんとなく「良い」とは感じられないものはどう扱ってもいいわけではない、というごく当たり前のことがせめて共有されるといいと思う。そこには人間がいるので。

今日は夜は雨が降るの?今こんないいお天気なのに?洗濯物はどうしましょう。花粉も飛んでるから外出さないほうがいいかしらね。みんなもう起きたかな。寝ていない人も寝不足の人もいっぱい寝たけど寝足りない人もどうぞご無事で。できたら元気で。