昨年、下北沢の「日記祭」へ行った。書き手とおしゃべりしながら買えるスタイルなのだがペンネームとはいえ不倫相手とのことも綴られた日記を書いた人とお話しするのは不思議な気分だった。その人もそれを夫に読ませたい気持ちがなくはないようだったし不倫相手に妻なり恋人なりメインのパートナーがいるわけではなさそうだったのでそれがもし広まったとしてもその人的にはあまり問題ないのだろう。その後の経過もネットに公開されていたし編集者など別の視点を通さない売り方をあえて選ぶとしたらやはり読まれたい気持ちが強いのかもしれない。わからないけれど。また、編集者さんや校正者さんも自分の日記を手売りしていて、ある編集者さんの日記には私が好きな本がたくさんあがっておりその人が編集した本だと知った。それまで編集者と作家って密着しながら関係や利害をうやむやにしているというイメージがあったけど(そういう方が身近だったから)そうではない人もいると知って安心した。その人が担当するのは心理職が読むべき専門書以外の本が多く、今年に入ってからもすでに数冊出しておられる。4月以降も次々に出すらしい本たちも要チェック。
さて、ペアでやる仕事は非対称の二者に引きこもり第三者性を失うことも多い。搾取したり排除したりする自分をその敵意の対象ごとなかったことにする代わりに別の対象に「素敵です」「最高です」とかお互い言いあいながらする諸々を「なんでも仕事」としているペアもいる。彼らはお互いの依存でナルシシズムを維持し、互いのわかりやすくエモい自分語りに対する共感と賞賛を示し、自分が受け入れられないもの(まさにその人そのものにも関わらず)へは偉そうに傍観者的な態度で評価を平然と行う。恐ろしいなと思う。colaboに抗議するSNS上の人たちと何が違うのだろう、ということをnoteにも書いた。第三者性を失い、バウンダリーのないナルシシズム的二者(=私たちだけが正しいの世界)がいう「第三者としては」という態度の尊大なこと。とても嫌な気持ちになるが彼らの幼稚で尊大なあり方はcolaboに中止要請がなされるような世界では主流だと思われるので観察と記録は大切だろう。一方、主流ではなくても地道に、ごく自然な思いやりでお互いの仕事や立場を守りながら着実にいい作品を作り上げていくペアの仕事が大切にされる世界も一方ではあるのだからそれらが支えてくれるだろう。