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精神分析

心の作用

今日もいいお天気らしい。暑くなりそうなのだけどもう「暑」という字は使いたくない。暦のほうに寄せているわけでもないけど最近は朝は冷たい麦茶と温かい紅茶を両方いれる。そして最初に飲むのは温かい方。身体的には起きたらまず冷たい水を一杯、とかいうから冷たい麦茶の方が喜ぼれるのかもしれないが私の身体はもう秋仕様らしい。それにこれまでだって「身体にいい」生活にこだわってきてもいない。大体いろんなお菓子に喜ぶ日々をやめるなんてできない。いつまでも喜べる身体でいられるために健康に気をつけるんだよ、と言われたとしてもそこまで身体に悪いことしているわけでもない。弱い胃腸を信じられるところまで信じたい。

自傷行為は自分の身体へのチャレンジだと思う。自分は自分にどこまで耐えうるか確かめるための。嗜癖という苦痛な快が和らげてくれる瞬間を少しでも引き伸ばしながらなんとか生きようとする心の作用。

誰にもいえない状況で傷つけられた体験を声にしようとするとき、そこには大きな痛みと恐れが伴う。「また傷つくだけだよ」「だったら言わなければいいじゃない」と制止がかかる。「それだって自傷行為みたいなもんなんだからやめなよ」と。そうだろうか。自傷の日々から逃れたくて、他害の恐れからできるだけ遠くにいきたくて自分のこころを守ろうとする行為が?立場を利用して人の性を軽く、乱暴に扱う人に対してもの言いつづけることが?もっと痛い想いするのだから、あるいはもっと絶望が深まるのだから、と制止してくる声は平然と嘘をつきながら人を傷つけた歴史を黒歴史としてヘラヘラと処理するような、あるいは記録がない、証拠がない、と言い続ける加害者に寄り添う声なのだろう。

みみをすます。自分の。他人の。他人から向けられた自分への。痛みと生きることのいたしかたなさを簡単に「しかたない」と言わないために、粘り強くそこにいつづけるためになんらかの工夫を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生