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雲とか本とか。

空の雲がすごい。お隣の金木犀がようやく強く香り始めた。秋だなあ、と思うけど、これをどう描写したらいいものか。昼間みたいな水色に白いモコモコが広がっていたり、薄いグレーで真ん中だけ塗られたような大き目だけど曖昧な形だったり、ポッカリでもなく夏雲みたいな立体感もなく、かといってのっぺりでもなく絵画のような静けさと明るさで我が家の南の大きな窓いっぱいに広がっている。昼間みたいな水色と思うのはこの雲の明るさのせいかも。朝でも夜でもない感じの光だから昼ということもないが雲なのに太陽を遮る感じもなく明るい。

今朝のNHK俳句のゲストは安田登さんだった。能の声はすごい。昨日、『文学カウンセリング入門』(문학-내-마음의-무늬-읽기)(チン・ウニョン、ギム・ギョンヒ著、吉川凪訳、黒鳥社)を読んでいたが安田登さんも日本の古典を通じた文学カウンセラーみたいだな、そういえば。『古典を読んだら、悩みが消えた。~ 世の中になじめない人に贈るあたらしい古典案内』(大和書房)などの本も書かれているし。日本にもチン・ウニョンとキム・ギョンヒが先生をしている韓国相談大学院大学みたいなのがあればいいのに。でも私がいっていた白百合女子大学は当時は児童文化学科として発達心理学と文学は今みたいにきちんと分かれておらず学際領域ということで自由に授業をとることができた。私も詩人や作家、編集者、翻訳家、児童文学者である先生方の授業がとても身近だった。あとから思えば錚々たる顔ぶれの先生方だったが当時はあまりよくわかっていなくてただ楽しくて児童文学の研究会に顔を出したりしていた。専攻は発達心理学だったから東洋先生と柏木恵子先生には特にお世話になったけど、先生方もよく本の話をしていた。一般教養の数学の先生とはよく本やCDの貸し借りをした。楽しかったなあ。私は卒論もグリム童話の理解だったし、小さい頃から自分を支え、変えてきてくれたのは文学だという感触は強い。精神分析を受けているときも今こういうの読んでるんだけどということばかりいっていた。どうしてそれを手に取ったのかとかも自由連想の中でふと思い当たったり。この前、フランス精神分析の勉強会で読んだアンドレ・グリーンの論文で、彼らは神話も詩も古典もなんでも引用できる知識を備えたインテリなわけだが、それらは私たちにとっても全然遠いものではないし、そういうのをインテリだな、で済ませるのは大変もったいないと思った。断片でも出会えたら確実に心に残る文章は多い。本を読むことはカウンセリングと同じ効果があることを私も強調したい。『文学カウンセリング入門』には谷川俊太郎の詩も引用されている。谷川俊太郎は韓国の詩人と対談した本、谷川俊太郎&申庚林著「酔うために飲むのではないから マッコリはゆっくり味わう」(クオン)も出ているし、近いところでいろんなこと話し合っていくのは素敵なこと。いろいろ読んでいろいろ話していろいろ耳を傾けて今日も過ごしましょ。東京は曇り、夜雨なのかな。今の空は明るいからこのままがいいなあ。よい一日を。

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精神分析、本

悩める朝に

明るい。朝はとりあえずカーテンを開ける、というのは大切なことですね。内側がどうであれ外側くらい大切にしないと。

この前、ゲンロンカフェでやっていた安田登さんと山本貴光さんの「心を楽にする古典講義──『古典を読んだら、悩みが消えた。』刊行記念」イベントをアーカイブで見た。

昨年夏には安田登×玉川奈々福×山本貴光「見えないものの見つけ方」イベントにもいった。それは『見えないものを探す旅 旅と能と古典』刊行記念イベントだった。

安田登さんはとてもたくさん本を書いているんだな。今回の『古典を読んだら、悩みが消えた。』もとてもユニーク。今ちょっとエネルギーがないので書きたいことも書けないけど出版社のページをぜひチェックしてみて。と言いたいのだけど目次が載っていないのが残念。

「自分より強くてイヤなやつがいるなら」「自分の気持ちをうまく言葉にできないなら」「自分は陰キャだと思うなら」「コミュニケーションで失敗しがちなら」などなど私たちがよく悩む事柄に対して古事記、和歌、平家物語、能、おくの細道、論語を解釈しながら応えるという超難易度高い人生相談を安田さんは誰にでも読める形で実現してくれました、というかわいい表紙(中の漫画もかわいい)のすごい本。読んでいるうちになんか昔見たことあるあれ、聞いたことあるあれって本当はこういうことだったんだ、とか思っているうちに悩みにも別の意味が与えられて「まあこれでいいのかな」と思えると思います。お悩みがなくても私は夢の話とかすごく面白かった。能は特に興味深いなと感じます。ゲンロンのイベントで「みんな必ず寝るけど必ず起きるでしょ」(超雑な抜粋です、アーカイブでチェック)というようなことを安田さんが話していたのだけどこれ本当にそうで、この流れで話されたこともよかった。本では能は“「残念」を昇華する芸能”と書かれていてフロイトのいう個人的な無意識の産物とは違うよ、というようなことが書かれています。今は精神分析は個人のこころを集団的なものとして扱う視点があるので安田さんの書いてあることは本当にそうだなぁと思うのでした。

なんだか文章がバラバラしてしまうな、今朝は。いつものことか。私が悩んでいることもこの本にあるから読み直すことにしよう。

そうだ、昨年のイベントでは能の「忘却と疲労」のお話がとても印象的でブログにも書いた。コロナ禍だったけど現地で見られてラッキーだった。少人数で間近で見られた安田さんと玉川奈々福さんのおくの細道の実演は迫力とユーモアがあったし、一緒に声に出して読むのも新鮮だったし(今回のイベントでもやってたね)、山本さんがお天気のせいか何かで電車が止まっちゃって遅れちゃったことが起きたのもおくの細道の世界と相俟って面白かった。

朝から楽しかったことを思い出せたことに安心した、今。こころを集団として、全部私だけど全部私だけではない部分で構成されていると考える。変化しつづけていると考える。いろんなことは「変わらない」と感じられることの方がずっと多くて「もういやだ」ということばかりかもしれないけどこころを集団的かつ力動的なものと捉えれば綻びや虫喰いを見つけたときこそ変化のチャンスかもしれない。とはいえあまり思い切らずにいこう。行動化っていうのはあまりよくない、私たちにとっては。

ふー。なんとか今日も過ごしましょうね。東京は気温もちょうどよさそうです。