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精神分析

おしゃべり、書き物

今朝も涼しい。昨日は一昨日の涼しさと比べると蒸し暑かったが少し遠回りするくらいの余裕はあった。

若い頃からの友達といろんなことを話した。子供たちとか残される世代のことを考えているのはみんな同じ。そういう年齢になった。変化のスピードが速い時代に、同じようなものを見て同じような体験をしてきた人たちとあれこれを十分に懐かしみながら親世代や身体の話をする。ずっと元気でいること、というのは運と部分の話、でも元気じゃなくても幸福はありうる、など。まあ、どうあってもこうやって助け合ってやっていきましょ、と明るく諦め、別の希望をつなぐ。

YouTubeを見るのに慣れていないのだが瀬尾夏美さんが永井玲衣さんと磯崎未菜さんとゆるゆるおしゃべり番組《帰ってきたら、リビングで。》を始めたということでそれを聴いてみた。作業しながらで画面を見ていないからポッドキャスト聴いてるみたいだけど映像あった方が聞きやすい人も多いものね。日本のいろんなところへでかけて繋がっていく彼らのおしゃべりは旅好きの私にも響く。旅は歴史や人を知ることでもあるから楽しい。

夏休みが楽しみ。それまでの日曜は大体勉強系だから寝てしまわないようにしないと。先週、あっつい京都で汗だくになって植物園に行ったり博物館に行ったときにふと「私はこんな身体使って汗まみれなまま登壇するのか。シンポジストの先生方のお話を聞きながら眠ってしまったらどうしよう」と気づいたときにはちょっと慌てた。電車に乗り間違えたり、色々間違って休む間もなかったのでなおさら心配になった。普通に不真面目な学会参加になってしまったが精力的に遊んだおかげか先生方のお話は元気なまま楽しく聞けた。自分の発表は前に書いた通り何を言っているかよくわからない感じになったけど無事に新幹線に間に合ったことで終わりよければすべてよしとなった。聴衆の方には申し訳なかったがこれは多分会誌に文章として載せるやつだと思うからそっちを読んでね、いつ出るのかわからないけど。学会誌とかそういう類に書いたまま年単位で掲載待ちのものたちがあるけどそういうのはもうすごく昔のものな感じがする。経験積めば積むほどただ懐かしむみたいな内容になってしまうから新鮮なうちに使ってもらえるところに書いた方がいいなと思う。

日本精神分析協会のジャーナルは書いてから掲載まで8ヶ月でスムーズだった。英語でのエッセイだけど、協会と学会の依存関係やアムステルダムショックなど日本の精神分析協会が歴史から学べることをBeing Polyphonicという題で書いた。問題が生じたらそこから学ぶ必要がある。歴史はきっと教えてくれる。原稿のもとは昨年シドニーで発表したものだけど、能登のこと、中村哲さんのことを書いておきたかったので文章にしてよかったし載せてもらえてよかった。英語チェックもプロにしてもらっているので読みやすいと思うのでよければぜひ。e-journal『The Journal of the Japan Psychoanalytic Society. vol.7』です。

さあ、今日も一日。良いことありますように。

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お菓子 俳句 読書

フィナンシェ、伊達公子の番組、中村哲の本

神奈川県横浜市青葉区市ヶ尾のパティスリー グランウールのお菓子をもらった。まずは抹茶のフィナンシェからいただきます。あずきが入っているのね。わりとさっぱりしていていいかも。カフェインレスのコーヒーとね。最近のカフェインレスのコーヒー、紅茶はとてもおいしいのね。ありがたい。パティスリーグランウールのお土産には秋冬限定の「時間ショコラ~トキショコラ~」という素敵な名前のお菓子も入っていた。立春をすぎたとはいえいよいよ冬みたいな寒さだものね。俳句も春の季語で作ろうとするとあたたかみが増してしまいちょっと実感とそぐわないと思ったけど「春の霜」とか「春の」をつければ本当は春なんだけどね、という感じもでるかなと思ってそうした。立春前は「日脚伸ぶ」とか「日向ぼこ」とか冬だけど春が近いですよ、みたいな感じのお天気でしたね。

昨晩、Eテレで伊達公子の「最後の講義」という番組をやっていた。聴講していたのはみんな女性。ある方が今後子どもを持ちたいとかなった場合にキャリアが中断することについての質問をしていた。こういうとき、やっぱり質問する側は緊張してしまうし、不安が溢れてしまうし、涙ぐんでしまうんだよね。その不安が具体的でなくても、今直面していることではなくても、こういうときの情緒って口に出してはじめて感じるものでもあるんだよな、とこれまでお会いしてきたいろんな女性患者さんのことを思った。トップクラスの人の話を聞くってとても大事よね。トップクラスではなくても自分と同じような体験をしている人の話を聞くことはとても大事。それ以前に人の話から学べる姿勢を持っていることが大事だけど子どもでも大人でもまずはその部分が育ってきて、すると「テレビでこういうのやってて」とか「友達が何なにって言ってて」と自分のあり方を考えるときに人を参照することが増える。暖かい文脈で。まずは暖かさをいっぱい知って少しずつ人の話を聞ける自分を育てていくことが大事なんだなあといつも思う。この仕事しているから特にだと思う。

私は中村哲さんの言葉からたくさんのインパクトを受けてたくさんのことを学んでいる。澤地久枝が聞き手となった『人は愛するに足り、真心は信ずるに足る アフガンとの約束』も読みたい。澤地久枝もいい。『完本 昭和史のおんな』は上下合本がほしいけど書籍代がかかりすぎているのでセーブ。合本でなければどこかにあると思うし探すべし。洋書が高すぎるんだよねえ。はあ。高いからきちんと読むのでそういう意味ではセミナーとかにお金かけるよりずっとお得だとは思ってるけど。あ、そうだ。週末までにもっと読まねばならないものがあるのを忘れていた。それも英語だったかなあ。そのチェックからせねば。もっとかしこくなりたいけどしかたないね。今日も自分の持ち物で一生懸命やりましょう。ためいきまじりだけど。鳥が鋭く鳴いて去っていった。元気ならいいな。暖かくして過ごしましょう。

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精神分析、本

中村哲さんの本とかメールとか。

南側の窓を滑らせて開けた。キッチンの窓も開けた。部屋の空気が一気に澄んだ感じになる。グチュッとしちゃうかもともらったキウイはグチュッとした部分はあったけど甘くて美味しかった。白湯。と少し前にもらった河口湖土産の富士山型のクッキー。チョコが練り込んである。今日は抹茶とホワイトチョコ。小さい富士山。美味しくてかわいい。毎晩家では作業をする余裕がないので隙間時間に色々するのだけどそれはそれで余裕がなくミスばかりの原稿を送ってしまった。英語だったから自動翻訳で確認しながらコピペ繰り返している間に文章が抜けたりしていることに後から気づいた。まあ仕方ない。締め切りまでに書いただけよしとしよう。訂正する機会はあるだろう、というかいただこう。隙間時間にちょっと読書してしまうのもこういうミスを増やしているのかも。読書は楽しいからなあ。時々パラパラとできるようにそばに置いている中村哲『思索と行動 「ペシャワール会報」現地活動報告集成 [下]20022019』を昨日もパラパラしていたらすごく泣いてしまった。実情が淡々と書かれる中に染み込んでいる中村さんの考えが真剣で温かくて泣いてしまう。こんなふうに絶望以前に淡々と日々の労働をこなすことが優先な人たちの「ふつうの」思いやりに学ぶ。中村さんのスケッチが好きだ。ここは干上がったような茶色い土地ではないの?という場所が緑いっぱいの場所になっている。中村さんたちと地元の人たちが地道に地道に達成した偉業だ。アフガニスタンは戦争では滅びないだろう、でも渇水で滅びるだろう、という言葉がずしんときた。ちょうどお世話になっている先生からメールが来た。意外で嬉しい共有だった。それを読みながら中村さんのこの言葉を思い出したので引用した。精神分析の世界を引っ張ってきてくれた先生方は色々ありながらもこうやって場所を維持してくれた。それだけでも本当に恵まれている私はその恵みを誰かの環境のために生かしていかなければならない。時折忘れてしまう感謝を胸に今日もがんばろう。