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新宿中央公園、白州正子、散歩

いいお天気。今日もずっと晴れるかな。週末、オフィスの近くの新宿中央公園はとても混んでいた。ちびっこ広場には何組の親子がいたのだろう。新しい滑り台も子供たちに埋もれていた。大人たちは話しながら遊びながらぼんやりしながら長時間ほとんど立ちっぱなしだろう。子供たちを見守るのも休日の大仕事。大変だ。大混雑のちびっ子広場をパンキッシュな大きな人の後をくっついていくことで無事に抜けフットサルコートを右手に前からくる犬や人を避けながら歩いた。桜色はほとんど見かけなくなりいろんな色のチューリップが咲き誇っていた。チューリップは花びらが大きいから存在感があるけど目線は随分下の方だ。空に伸びる大きな木の新緑の眩しさや都庁の高さに気を取られていたらすぐそばで咲き並ぶチューリップに気がつくのが遅れた。いつもはひとりずつ座れるベンチもカップルや親子とや友達同士か他人同士でいっぱい。春の週末はみんなアクティブで賑やか。子供たちもチューリップみたいだな。新学期だね、クラス替えとかどうだったかな。とりあえず1週間がんばろ。

今日もすこしお散歩する時間がある。最近は読書よりも作家について調べたりゆかりの地を歩くことが多い。暖かくなって身体が動くようになったから。関節の痛みもよくなると嬉しいけど動いているうちはまあいいかとも思う。

私が開院時から長く勤めてきた町田市鶴川のクリニックは4月から大きく耐性が変わった。まだ週2通っていた頃は長いお昼休みにいろんなところを散歩した。駅の両側は川沿いも駅ビル側もすぐに上り坂になるがお花や木々を楽しみながら歩いていると小道に突然小さなカフェが現れたりして楽しい。住宅街に美味しいパン屋さんもある。

鶴川には白洲次郎(1902-1985)と正子(1910ー1998)夫妻が昭和18(1943)年から住んでいた「武相荘」がある。この季節もきっと美しいだろう。駅から遠いのと入場料が高いのが残念だけど丁寧に作られ保存されてきたお庭や陶器や家具に囲まれてしばしそこの住人としてゆったり時の流れを味わう贅沢を時々なするのもいい。

正子は永田町生まれで自伝を読むと自分の足でよく動く人だなという印象を受ける。その足取りについていく散歩をするのもいいかもしれない。正子は裕福な家に生まれ自伝を読んでも「うわあ、とってもお金持ちだなあ」と思うのだが両親が付き合っている人物が財閥の人たちだったりするから本人は貧乏な家に生まれたと思いこんでいたというのだから子供の世界というのは面白い。永田町あたりは今はなんだかあんな感じで人の生活を感じにくいが戦前は美しい桜並木のある屋敷町だったという。誰かがこうして書き残してくれているおかげでその土地が最初からこうではなかったと知ることができる。無機質だったり荒地だったりみえる空間に自然や人々の暮らしを見ることができる。さっき書いたように白州正子の文章は彼女が実際に自分の足を使っている感じがよくわかるのでやっぱりついていってみようかな。それにしてもこの前も何かで書いたけど太田道灌ってどこにでもいる印象がある。江戸城作ってるのだから私の行動範囲からしたら当たり前なのかもしれないけど他の県でもよく見かけるからなんか「あーまた会ったね」みたいな気分になる。なんで正子から道灌を思い出したのか。永田町の日枝神社繋がりですね。

自分に見えるものなんてとてもわずかだけどいろんなふうにいろんな人やものに助けてもらいながらなんとかやっていきましょ。まずは今日のお昼までとかちょっとあそこまでとか区切ったりしながらベイビーステップで。

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精神分析

蝉の死

新宿中央公園はいまだに蝉の国だけど、蝉の死骸もだいぶ増えてきた。仰向けに寝転がるように一生を終えた彼らの透明な羽をきれいだと思った。

この時期なら新宿中央公園への道案内は簡単。「ここをいくと蝉の声が聞こえてくるからそこ」って言える。蝉の声が空間の輪郭を描く。

精神分析はいまだ輪郭を持てずにいるその人の部分に触れる。そこに無理に言葉を与えてしまわないように細やかに注意を払う。そうありたいので訓練する。簡単じゃないけど、いろんなことは大抵簡単じゃない。

蝉は「精一杯生きたぞ」とか思わないで力尽きて死んでいく。それはある意味「力の限り生きた」という感じでもある。

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広場

新宿中央公園、10代後半からずっと馴染みのある場所だ。少し前から蝉が一斉にわんわんと鳴き出した。先日、学生もホームレスの人も会社員も私たちも誰でも寝転がることができた芝生広場がリニューアルオープンした。「魅せる芝生」エリアの分だけ私たちの居場所は少なくなった。

広場。私たちが出会う場所。お互いが何者かなんて知らなくても言葉を交わす場所だった。

「いいじゃん、こっちがあるんだから」と残された広場を指差す人もいるかもしれない。単に寝転がるという目的を果たすだけならその通りかもしれない。でもすでに「残された広場」と書いた私は、美しく整えられたその場所を侵襲を受けた場所として捉えているらしい。一個だけ、あともう一個だけ、と言っていたら全部なくなってしまった、というような欲望、あるいは関係のあり方にも馴染みがある。「そこだけは」「それだけは」という抵抗こそ虚しく奪われていく場面も見聞きしてきた。

自分だけの場所を守る。それがどのくらい必要で、どのくらい難しいことか、いろんな人の表情や語りが思い浮かぶ。一度侵襲を受けた場所は多くの場合、最初からそうだったかのように少しずつ姿を変える。事実は変わらないとしても侵襲の記憶に苦しむのは辛い、お互いに。

広場、それは作られるものではなくてどちらかというと余白だろう、と思うのは昨日、マルジナリアのことを書いたからかな。