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頼もしさ

机に向かうのが少し遅くなった。鳥たちはもうバラけてるよう。

どうしても気持ちが強くむいてしまう人やもの、ことに振り回されているうちに受身でいることを選んだ気がする。どちらにしても壊れていくなら私を保てる時間を引き伸ばせる方を思ったのかもしれない。

1歳3ヶ月になる子の隣に座った。「久しぶりだね」口をキュッと結んでチラチラと私をみるが不安や緊張が高まってはなさそう。突然のことで引越し祝いも誕生日プレゼントもあげられなかった、とあとから気づいた。録画された昔の「みぃつけた!」が小さな音で流されていた。違う。「いないいないばぁ!」だ。ワンワン大活躍だな。テレビを見たり私を見たり立ち上がってテレビに近づいていって転んで立ち上がったりしているうちに声を出すようになった。今日は特別だから夏の彩りの美味しいお弁当を買っていった。コーンと枝豆のまぜごはんもきれい。この前は二段重ねの小さなちらし寿司だった。一緒に食べようと椅子にのせると前に置かれたごはんを見て大きな声をあげた。食べよう食べよう。私たちのごはんもじーっとみている。まだこちらの目線など気にしないのもいい。今のところ食べるのが大好きだそうで本当にモリモリ食べていて頼もしかった。コーンが大好きでねだっては一粒のせてもらい美味しそうに口に入れてた。美味しいよね、私も好き。前回は持つことはできても飲むことができなったマグをひょいと片手で持ち上げて上手にストローでお茶を飲んでいた。頼もしい。このくらいの年齢の子を見ていると「頼もしい」とよく思う。慌ただしくも楽しい時間が過ぎるなか、いつから自分が壊れることを想定するようになったのだろうと一瞬思った。

ごはんを食べ終わってまた隣に座る。すっかり懐いてくれている。あまりにかわいい笑顔で私をみたので友人と顔を見合わせて笑った。前より広くなったスペースでよく動く。小さないないいないばぁをたくさんする。そういえばマグにタッパーの蓋をのせて外すような動きを私に披露していたのもいないいないばぁだった。フロイトがfort-daと言いながら糸巻き遊びをする子どもに惹きつけられたのもよくわかる。繰り返されるけど少しずつ変わるそれに。この前はちょうどつたい歩きができるようになった頃だった。椅子は手押し車のようでそれは今回もそうだった。おむつを替えたあとポイポイとおむつをカゴの外に出しはじめた。「入れといて」と特に期待もせずいう私たちの言葉よりみられていることがなんらかのやる気を出させるのだろう。わからないがおむつを一つカゴに戻した。私たちが手を叩いて褒めると頬が緩んだ。この年齢の子の表情というか表情筋?微細な変化が遠目にでもわかる、遠目というほど距離とらないけど。もう一つ戻す。また私たちにニコニコと手を叩かれる。また戻す。繰り返す。いないいないばぁの変形ver.だね。途中から自分でも手を叩き、小さな手で上手にタッチもできた。ニコニコさんだ。別にお片付けなどできなくてもいいのだが(全く片付けられない大人との引っ越しストレスの話もした)何かをしては喜ばれる、そんな体験はたくさんあってもいいと思う。私がその動きを忘れかけた頃、その子がとっても明るい顔でそばにきて両手を叩くようにして合わせた。思わずニコニコした。お片付けしてくれたのね。すごいすごいありがとう、と私も手を叩く。一緒に叩く。笑う。幸せ。

いつからこんな風にできなくなったのだろう。思い思われること、動きを呼応させること、何も難しいことはないのに。

昨晩は私たちがネット上に立ち上げた小さな句会の投句締切だった。彼らと過ごした時間のおかげでいつもと違う気持ちで言葉に向かえた気がする。

壊れることを想定しない自分を前向きというのかな。彼らには前も後ろも過去も未来もまだないか。これからたくさんの分離を経験するなかで今ここの幸せが幻だったように感じるときがくるかもしれないけど大丈夫だよ、と言ってあげたい。あなたは今こんなに頼もしくて私たちを幸せにしてくれる。それを私たちが覚えている。覚えていたい。いずれ過ぎる、いずれ終わる。それは本当のことだけどそんなことあえていわずとも今ここに委ねられるように今日も過ごせたらと思う。

今日は火曜日。無事に一日過ごしましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生