カテゴリー
精神分析 精神分析、本

子供

寒い一日だった。反射的で心ない言葉には心が寒くなる。意図も聞かず勝手な解釈をしてはねつけたくなるときは自分で自分を守らねばならないくらい余裕のないとき。そんなに余裕がないなら休めばいいのにというのは外側からの意見で余裕があると色々考えなくてはいけないことに気づいてそれはそれで嫌な人もいる。薬で眠ってようやく自分の余裕のなさに気づく余裕ができる場合もある。余裕をもつって難しい。

子供に育てられる、というけど子供がいると一番大変なのは自分の都合より相手の都合を優先しないと実際に危険が生じることだと思う。自分の食べ物、自分の睡眠、自分の身体、自分の時間、それまである程度コントロールできていた自分の色々が否応なく奪われたり侵食されたりしていく。もちろんそれは子供のニードへの反応だし、子供にも奪う意図などないけれど気持ちはめちゃくちゃでどろどろになって疲れ切って半分以上発狂したりする。それすらかなり我慢しながらだけれど。ケアの文脈は狂気の文脈でもある。これを体験したからこうなる、というわけではないけれど自分を差し出しながら自分として生きていこうと奮闘する毎日は大変すぎる。たくさんの支えがあればいいと思う。

小児科医で精神分析家のウィニコットは

“Mature adults bring vitality to that which is ancient, old and orthodox, by recreating it after destroying it.”

というようなことをいった。The Collected Works of D. W. Winnicott: Volume 6, 1960-1963に収められている”the family and emotional maturity”という論文において。まさに子育てを通じて成熟していく大人の体験そのものといえるかもしれないし、その大人のもとでなら子どももその体験を繰り返すことができる。
論文のアブストラクトはこちら。

In this paper, Winnicott discusses the idea of maturity as a maturity appropriate for a particular age. An intact family is fundamental to healthy development and if the family is threatened this becomes very clear. For each family the actual father and mother are alive in the inner psychic reality of the children. But individuals need to become independent of their families for psychic health. Adult political institutions unconsciously reproduce home and family constellations. Children carry unconscious dependence on their actual father and mother, and it is within this dependence that the growing child’s need for independence can be safely asserted. An important feature of emotional development and maturity is the individual’s capacity, after acting out, to rediscover the original maternal care, parental provision and family stability, on which that individual was dependent in the early stages of life.

「本論文において、ウィニコットは、特定の年齢に応じた成熟という考えについて論じている。健全な成長には健全な家族が不可欠であり、家族が脅かされると、そのことがはっきりと明らかになる。各家族にとって、実際の父親と母親は、子供たちの精神内界という現実に生きている。しかし、精神の健康のためには、個人は家族から独立する必要がある。大人の政治制度は、家庭や家族の布置を無意識のうちに再生産している。子どもたちは、実際の父親や母親に対する無意識の依存を抱えており、成長する子どもが自立を必要としていることは、この依存関係の中で安全に主張することができる。情緒発達と成熟の重要な特徴は、行動化を経て、その個人が人生の初期段階で依存していた、母親のケア、親からの提供、家族の安定を再発見する個人のキャパシティである。」

このことは『完訳 成熟過程と促進的環境 情緒発達理論の研究』(岩崎学術出版社)のp67「5.健康なとき、危機のとき、子どもに何を供給するか(1962)」にも詳細に書いてある。

「子どもに供給するということは、個人的なこころの健康や情緒的発達を促進する環境を供給する、ということ」

「健康とは成熟であって、その年齢に応じた成熟である」

「ほどよい諸条件が供給されれば、個々の子どものなかで情緒的発達が起こり、発達への動因は子どもの内側からやってくる。」

などウィニコットの読者にはおなじみの考えが並べられるところからこの論考ははじまり、母親(ウィニコットはここにつねに父親を含めている、と書いている)が乳幼児との同一化によって彼らのニードを知る機会を与えられること、そして子供がありのままのその子として扱われる必要があることをウィニコットは主張する。

ウィニコットは最初の妻との間にも二番目の妻との間にも子供がいなかった。死ぬ間際まで続けた臨床が同じように巻き込まれる体験として子育てと重なる部分はあったかもしれないがウィニコットの場合、何かをしないこと、しなかったことの方へ注意をむけていると思う。

ウィニコットが1968年、NY精神分析協会で行った講演は翌年のIPAジャーナルに掲載された。『遊ぶことと現実』に収められた「第6章 対象の使用と同一化を通して関係すること」がそれである。

すでに晩年を迎えたウィニコットのこの講演はアメリカの精神分析家に受け入れられなかったという。ウィニコットはこの論文で「対象と関係すること」という概念と密接に関連する「対象の使用 use of an object」という概念を俎上にのせた。

ウィニコットはそれまでの豊富な精神分析体験から解釈を待つことの意義を強調し、「答えをもっているのは患者であり、患者だけである」という原則のもと「分析家を使用する患者の能力」を見出した。

当時NYの精神分析コミュニティには通じなかったかもしれないが全員が全員そうというわけでもなかっただろう。私は今になってウィニコットのいいたかったことがわかる気がしている、と一気に論文の中身を省いて書きたくなるがもう遅い、時間が。夜中だ。どうかみなさんの夢がなにかしらの仕事をしてくれますように。少し楽に目覚められますうに。