カラスが遠くで鳴いている。スズメはすぐそばで。薄暗い朝。雨が降るのかな。昨晩、いつもの帰り道で桜が咲いていた。もうすぐもうすぐと蕾が膨らむのを見上げながら通り過ぎていたけど今年も変わらず咲いた。何事もなかったかのように。
「多分本当にわからないんだろうなあ、そんなことありうるのか、あるんだろうなあ」と私の理解を超えたわからなさにどうにか耐えながらこれも仕方ないあれも仕方ないと何も言わずにいた。一番嫌なことだけは伝えた。それが一番嫌だったんだろうだなあ。それが氷山の一角であれ、その下に広がるものと繋がっていることくらい本人の無意識は掴んでいるのだろうから。ただ人は健康を守るために良い部分、悪い部分を別々の人に投影して悪い部分を押し付けて切り離すという病的なことができてしまうのでチャンチャンと。病院に通う必要がない病気で健康を保つってことをしているのが私たち。あえて病気と書いているけどこれを病的な防衛機制とよんでいるのが精神分析。精神分析は異常と正常をスペクトラムと捉える、ということを学びはじめから何度も何度も教わった。
シモーヌ・ド・ボーヴォワール『決定版 第二の性 Ⅰ 事実と神話』(河出文庫)をため息をつきながら読んでいた。これは長く復刊が待たれながらなぜか実現してこなかった本。今回は新潮文庫版に改訂を加え河出書房新社から出版。翻訳チーム『第二の性』を原文で読み直す会の井上たか子によるあとがきから読むのもいいと思う。なんにしても早めに買うべき一冊ではなかろうか。4月にはⅡも出るそう。冒頭のエピグラフはピタゴラスとプーラン・ド・ラ・バール。プーラン・ド・ラ・バールという人は『両性平等論 』(叢書・ウニベルシタス)という本を書いているのか。これも読んでみよう。それにしても「ド」が「怒」に変換されるのを見ると女たちは怒ってきたんだなと改めて思ったりする。
「私は長いあいだ女性についての本を書くことをためらってきた。この主題はいらだたしい、とくに女にとっては。それに新しくもない。」
書き出しから魅力的な本書は訳文の読みやすさはもちろん内容の面白さに最初から惹き込まれるがため息もたくさん出てしまう。はあ。
そして、ボーヴォワールの精神分析に対する評価を私はとても正当だと思うし、それを取り上げて書く仕方も好きだ。
ここでは冒頭に引用されたピタゴラスを引用させてもらおう。
秩序と光と男を創った善の原理と、混沌と闇と女を創った悪の原理がある。
ーピタゴラス
どこにもかしこにも存在するスプリット。それをどう曖昧にこなしていこうか。いくつものスプリットに引き裂かれたこころをどうかき集めていこうか。いびつでもそれなりに正気を保って生きていく力なら大体の人に備わっているはず。善とか悪とかうるさい、と思いながら言いながら今日も何とか。