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精神分析

ホクホク、句会色々、孤心

今朝は新しいお菓子がやってきた。温泉のクッキーとかカステラとか。嬉しいな。

句会でホクホクして一日を終えようとしたらまた自分の間違いに気づいてしまいすぐにメール。はあ。本当にね。よくやってきてるな、こんなんで。どうにかなるといいのだけど。

こんなんでもなんとかなってきてるのは助けが多いから。いつも個人にも環境に助けられている。カラスが鳴いてる。どうしたのかな。どうもしなくても鳴くか。カメラオフのzoom句会でかわいい声が聞こえてマイクマークに赤い斜線が入る。「寝たはずの子が起きちゃって」「ちょっと子どもが」と小さい子どもがいると親は大変だ。最初からカメラオフにしておくのはいい設定だと思う。昨日は知っている子どもの声が聞こえた。もうすぐお誕生日だね。また遊ぼう。一緒に絵本も読もう。コロナ以前に私が立ち上げた句会は投句と選評だけ書き込みあう会。管理は持ち回りの当番制。その後「談話室」でやりとりすることもあるけど基本的には選評で対話している感じ。「夏雲システム」というオンライン句会のためのシステムを使わせていただいているがシステムのおかげで俳句を続けられている人も多いのではないだろうか。開発、運営を一人で担ってくださっている野良古さんには本当に感謝感謝である。私たちの小さな句会にも結社の枠をこえてひとり、またひとりと人が増えてきた。コロナ前は月1回対面で集まっていた句会はオンラインに切り替えて主宰不在のまま継続してきた。私は一度抜けさせてもらったけど再開。この句会はまだオンラインだけど吟行の企画が増えてきた。参加はできないけど吟行先と句会場所を聞くだけでも楽しい。私が出ている句会はやさしいというか普通に思いやりのある人ばかりで穏やかで言葉を大切にするホクホクした時間を過ごせるから新しい方もすぐになじめると思う。俳句は「座の文学」と呼ばれるけど大岡信が『うたげと孤心』(岩波文庫)で書いたように孤心を生きるものでもある。大岡信はこう書いた。

“それらの詩人たちとは、柿本人麻呂、菅原道真、紀貫之、藤原俊成・定家、松尾芭蕉、与謝蕪村、岡倉天心、正岡子規、夏目漱石、窪田空穂、高浜虚子、萩原朔太郎その他である。これらの詩人たちは、私の考えでは一人残らず「うたげ」の中で「孤心」を生き、 「孤心」の中で一人「うたげ」を主宰し演じることに長じていた詩人たちにほかならなかった。(中略)

 この人たちも皆、悩み多き自己分裂の生を生きたのだと思うことによって、私は少なからず励まされてきたと思っている。”

借り物の言葉ばかりで支持をあつめている人は孤心ではなく孤独だけどそれもずーっと続ければ虚構にはみえず無事に孤独を防衛できたりする。ある人が書いた言葉がそれを引用したある嘘つきな人の言葉として賞賛されているのをみたことがある。虚構のための搾取、と変に納得したけど悲しかった。「孤心」を生きるというのは自分の有限性を生きることでもある。精神分析は自分の言葉で話したい、と自分自身と向き合おうとする。それを自分自身に求める人は多くないが誰かの言葉や身体を食い物にしないための一つの方法ではある。

さあ、お菓子。食べるならこっち。もうだいぶ明るい。新しい一週間をどうにかこうにか始めましょう。