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仕事 俳句

ミーティング、「ブラック・サバス」、俳句

雨の音がしなくなった。耳をすます。やっぱりしない。あ、するかな。鳥がさっきピチューピチューピチューって高い声で鳴いてたけどみんなも早起き。

昨日はとても重要なミーティングがあった。ここまでくるのに一年かかった。が、まだ続く。代表者のひとりとして動いていることは最後まで丁寧に。女3人でやってるけど結構楽しい。住んでいる地域もバラバラだからリアルで会ったこともなく小さな子供たちを抱えながらのミーティングも毎回さくさくせざるをえない。でもこの仕事だからお互いのことを手早く知ることに慣れているのかもしれない。この一年でお互いに色々あったこともなんとなく知りつつなんとなく近況報告しつつ。もちろん親密になるというのとはまた別だし「運動」の先頭に共に立つというのは緊張感も伴うものだけど違いを丁寧に補い合うこと自体楽しい。考えや見方が違うからこそ共にやる意味がある。そうか、私たちは「違う」ということに慣れているのがいいのかもしれないな。この仕事は「いろんな人がいる」と実感しつづける仕事だから。障害や病気を持つ人たちと長く関わってきているから何か考えるときにその人たちの生活が常に頭にある。違和感のあるものと共に生きざるを得ない人たちの話をたくさん聞いているとこっちも「なんでそこそんな簡単に根拠なく進めちゃうわけ」みたいなことに敏感になる。臨床は患者さんやクライエントと協力してやるものだから。「ケア」という言葉は当てはまらないように感じるな。お互いにハードだよね、思いもかけないことがたくさん起きるから。本当はそんなことは日々起きてるんだけど人間の処理能力ってすごいから大体のことはパターンに組み込めて違和感少なくできてしまう。密になるとそこが崩れる。だからハード。でもそこに転機も面白さもあるんだと思う。私は今回東京に住みいろんな意味で恵まれている立場だからこそやっておいた方がいいだろうと彼らと協力体制を組んだけどすごく勉強にもなっている。かなりの程度「普通」に生活できている人がやっておいた方がいいだろうということはたくさんあるし育てる仕事をしている責任もあるからいってることとやってることの差異を少なくしていきたい。

その大事なミーティングの前に大急ぎで俳句を作り速達で投函した。ネット句会の締切にも間に合った。いつもギリギリだけど俳句はいい、短くて。15日締切の分も作らねば。明日か。

さっきニュースで見たんだけどイギリスでヘビメタバレエ「ブラック・サバス」の公演があるんだって。オジー・オズボーンもOKしたと。見たい。日本でもやってくれないかな。私の青春時代を支えてくれたミュージシャンたちはもうかなりの歳だ。私だって残された時間の方を意識するわけだ。

今日は私がマネージしている臨床家のみなさんとのグループ。グループでの作業はそれまでの自分の見え方や感じ方を揺さぶるけれど正解があるわけでもないからせめて自分がいってることやってることの確認をしておきたいね、常に戻れるポイントを作っておくことは責任ある作業には必須だと思うし。私も勉強しよう。そして鳥や花もみにいこう。新宿中央公園とか明治神宮がお散歩範囲のオフィスでよかった。昨日私の写真を見て「似てる!」と送ってくれた動画に「私のは明治神宮」と返したらそこも明治神宮だった。似てるどころか同じではないか!とびっくりした。森で見上げる空の形はすごい。森が作る空の形というのかな。明治神宮はお花はあまりないけど蛇イチゴの小さな実がなっててかわいい。それも昨日俳句にした。

はあ、昨日はまたもや句友たちが賞をとったり嬉しいニュースもあったしよかったなあ。がんばっている人たちがきちんと評価されるってそのがんばりを知っている周りの人にも幸せをもたらすね。本人がすっごく喜んでるのも楽しい気持ちになるし。昨晩はたくさんの「おめでとう」「嬉しい」が流れてきた。もちろん私も送った。前に小さな句会を長く維持していくには駄句を出す人も必要なのではという話になった。私は駄句出し係みたいな感じだけど存在意義は十分感じる。評価にこだわるほど真剣にコミットしていないことはよくないのかもしれないけれどいろんな人が同じことしてるのって面白い。いろんな句に触れているとたまにいい句もできちゃうしね。なんでもやり続けてみるもんだ、変な無理をしない範囲で。無理自体はどうしても生じてしまうのだけどそれが過剰じゃないことが大事だよね。

ということで今日も無理なく良い一日をお過ごしください。

明治神宮