規則的に鳴く鳥を脳内で真似る。毎日いろんなニュースがあるなあ、と脳内でため息をつく。Netflixで「ミニオンズ」をみた。最高にキュートじゃないか。悪の側があんなだったら能天気でいられるのに。最近善人面した悪人が多すぎるのではないか。むしろそっちが主流なのか。私はすぐに「邪悪」認定されるから善人ヅラしていないらしい。よかった。このままいきたい。「私が邪悪だっていうんですか」と聞かれた。めんどくさいのでとりあえず否定した。そう言われると「そうかもね」と思ってしまうけどめんどくさいからそういうのやめようよ、と思う。「悪いのは自分じゃない、お前が邪悪だ」と悪を押し付けたい人の単純な反転。あなたの周りはそんな単純な善悪でできているんですか。そう思い込んでるからいつもしんどいんじゃないんですか。薄くて浅い関係で毒にも薬にもならないちょっと気の利いたことを呟くのは大得意だものね。単純な「いいね!」をもらいすぎたのかしら。そういう関係は「いいね!」、傷つかなくて。でもそれはそうではない関係で誰かを弄んだり見下したり貶めたりしていい理由にはならないんだよ。そういうことは本からは学べないから知らなかったかもしれないけど。自分の思ってもみなかったことを問われるとイラッとした態度で一生懸命積み重ねてきた本の知識で説明を繰り返すか怪訝そうに首を少し傾けて小さなため息をついて圧をかけて黙らせる。「何その態度、子供?」なんて言おうものならもっとめんどくさくなるので「お勉強」と思ってきちんと耳を傾ける。世間ではそういう人が善人、賢人扱いされて本気度の少ないベタベタダラダラしたサークル的世界で気持ちよさを追求しているのだから、そういう世の中に慣れていかなければ、それが「大人」になるということ、というわけでは全くない。うんざりするが「はいはい、邪悪なのは私ですね。その通りです」ということで正しく邪悪道で精進していきたいものだ。
noteにメモったが、と昨日読んだ戯曲のことを書こうと思ったけどそのエネルギーがない。脳の働きが鈍い。すでに疲れているがなんとかやろう。
note:
日本劇作家協会 戯曲デジタルアーカイブ
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