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俳句 精神分析、本

句友、一生(という時間)

暗い時間に呟きをコピペして長文にして呟きの方を消した。ここではただ指任せで書いている。空の明るさだけで起きてしまうとまだ早すぎる。トモコスガさんが「オランダの夜10時過ぎが明るすぎ」と写真を載せていた。さっきまでの東京の空と似たような色。でもないか。こっちはなんか黄色がかってる気がする。

週末、句会でたくさんの人と会って楽しかった。みんなは3年ぶりといっていたけど私は句会自体にほとんど出られていないのでもっとぶりかもしれない。新井素子さんがいらした句会ぶり。あの日と同じ服を着ていたことに会場で気づいた。同じ季節だったのだろう。コロナのおかげでと書くのは間違いかもしれないがコロナ禍ゆえに声だけの交流が始まった句友もオンラインのみで交流していた句友もいて「ここでははじめまして」と笑い合った。会えると思っていなかった遠くに住む句友も前日の激しい雨にも負けず現地入りしていてとても嬉しかった。夏の着物でいらした方たちの生地や帯にも見入ってしまった。とても素敵だった。私も自分でちゃっちゃと着付けできれば仕事あと急いで行かねばであっても着物に着替えて行きたいけどそんな日がくるとは思えない。

昨日は同じメンバーで2年目を迎えたスモールグループでの事例検討会でこちらも毎回のことだがとても勉強になった。一応私は指導する側だけど指導というよりファシリテーター役。役割としても学びが大きい。初回面接を検討する月一2時間半の会だが今回も妙木浩之先生の『初回面接入門』(岩崎学術出版社)にすでに書かれていることを実感して笑い合った。笑えるのは何回も読んだはずなのに何もわかっていなかったということに気づくからだ。臨床的な実感は本の中にあるようでない、でもある、ということなのだろう。

そんな日がくるとは思えない、というので思い出した。昨晩スーパーに寄ると私の前に店を出た人が1リットルパックのぶどうジュースとストローを持っているのが見えた。私が一生やらないであろうことをこの人はこれからするのだなあと思った。あの手持ちの雰囲気からしてこのあとおうちで紙パックからストローで直接飲むんでしょ。150mlくらいだったら私もグラスで飲む機会もあるかもしれないがぶどうジュース1リットル、紙パックからストローで、はないなぁ。多分、きっと一生ないな、と思った。誰かはしていても私は一生しないであろうことなんて数えきれない。することよりもしないことの方が多いに決まってる。なのに「一生ないな」と思う対象がこれかよ、という感じもあるが日常の発見というのはそういうものでしょ?いちいち正確に本を読むことからはじめなくても(そんな読書家なのにそれ、みたいなのもあるから)豊かな日常はそこかしこにある。臨床も同じ。

さっきから激しく鳴いている君は誰なのだ?ヨシキリ?昨日はムクドリが二羽茂みにいた。この時期のムクドリはやたら茂みにいるのだけど低いところのほうが美味しいものが多いのかしら。そこにウグイスみたいな鳥もやってきたんだけどホーホケキョって鳴かなかった。あなたはどなた?なめらかな羽に見えた。

友達が主に怒りに共感するメールをくれた。女の辛さを共有できる女友達がいるのはありがたい。彼女とも会いたい。幸いなことに私はコロナで失った人はいなかった。途轍もない苦しみは知ったし人はいつ死ぬかわからないという実感は強くしたけど。今日もいろんな人と会い、話す。主に聞くほうだけど。試行錯誤を続けよう。なんとか持ち堪えよう。「もちこたえる」か。昨晩の大河は悲しかった。おっと、ネットで拾えた歴史の資料を読んでしまった。こういうところが慌てて失敗する原因を作ってるって流石にこの歳になればわかってる。でも治らないな。どうにかなると思ってるからだろうな。ダメね。そんなこんなであっという間に時間が経ってしまう。いや、辛く苦しいときは時間なんてあっという間に経ってほしいかもしれない。そうなるとそれは無理なんだ。辛いね。でもなんとかやろう。そうはしたくない、そうはなりたくない、という気持ちに素直にやっていけたらいいように思う。

今朝のお菓子は以前働いていた神奈川県大和市のおみやげでした!