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精神分析

七福神、蕪島、象徴化

眠い。今日は晴れみたいなのに空はまだ曇り空。昨日の空はとてもきれいで写真をアップしている人が多かったですね。私もしました。今朝のお菓子は群馬の定番お菓子「七福神あられ」。小さい子からご老人までみんな大好き。しかしなぜ七福神以外に「寿」とかいってココア味を作ったのかしら。「旅がらす」と同じ失敗では、と思ってしまう。ココア味のお菓子なら他にたくさん美味しいのがあるのだし定番がこんなに美味しいのだから加えなくていいのに。七福神めぐりするときだってそれ以外いないじゃん。まあ、でも宝船とか色々ゴテゴテしてるから余剰も大事か。夏に八戸に行ったときウミネコの繁殖地で有名な蕪島へ行ったのだけど、そこから見える景色に「七福の岩」というのがあった。岩7つ。神様の形態は柔軟だな、というか石や岩が投影先として柔軟なんだな。硬いのに。自閉症の子でその硬さを好む子たちもいるけど彼らがそれを遠くから見て神様と思うことはないだろう。実際の硬さが重要であってあえて変形する必要もないだろう。象徴化機能は過度である必要はない。そういえばこの蕪島、イワシがたくさん獲れる場所だからウミネコが繁殖したらしいのだけど太平洋戦争の末期に旧日本海軍が埋め立て工事をして島を陸と繋げてしまった。そのせいで何が起きたかといえば猫、タヌキ、キツネなど天敵が増えた。だから保護しなくてはないけなくなった。こういう話、大間から見える島にもあった気がする。その島は海鵜が自然に繁殖したのだったかな。勝手に変形するのはよくないこともあるよ。自然が変わってしまう。言葉のレベルだってそう。言葉にするとか見立てるとかって相手なくしてできるものではない。象徴化機能は一見「正常な」大人として必要な機能みたいな感じがするけど言葉巧みなだけで心ない人なんてたくさんいるわけだから。あんなことしといてそんな言葉で「いいね」集めたり人にもの教えたりしてるんですか、とかね。しかもそういう人って誰かの言葉の引用が大得意だったりする。自分が吐いた言葉は態度を伴うので直接吐かれた人との関係で考えるべきでしょうけどね、と私は思う。感じよく人生にまつわる何かを教えたりしている人が気に入らない相手に加害性押し付けて自分だけ平然と快楽を保持しているだけの人だったりするから。いや、そうやって人を部分的に扱う人といったほうが正確か。精神分析で象徴機能が問題になるのはその位置付けがそんな簡単じゃないからかもね。あーあ。神保町のことを書こうと思ったのに蕪島のことを書いてしまった。晴れてきた。どうぞ良い一日を。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生