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精神分析

悪口とか。

眠い。おなかがすいた。りんご食べた。ちっちゃいチョコと熱い紅茶もある。よき!

今色々悪口をそうとはわからない形で書きたいけど書かない。そんな暇じゃない。悪口ならそうとわかる形で書く。そうとはわからないと思ってされてることって第三者からみたら結構あからさまに「そう」なので小細工するよりわかるように書いたほうがいいでしょう。悪口とか大雑把に言ってるけどこっちにはごく普通のありがちな文句でも悪意や非難としてしか受け取られない世の中なんだからもうなんでも悪口でいいや、みたいな気分になる。悪意で受け取りやすい人は自分より弱い立場の賢いが孤独な相手を使っていい人アピールするのは上手だから厄介。これも悪口。全部悪口。馬鹿は一生言ってろ、と馬鹿にすればいいのだ、これまで通り。これ、全く逆の褒め言葉でも言える。どっちかにすることは簡単。毎度同じように「最高!」とか言ってるのは褒め言葉ではないけどね。本の帯とかもある層にはかっこよく響くであろう、ある知識を前提としている言葉が書かれていると思いやりのなさを感じてしまう。昨日読んでいた英語の本の書かれ方もそんな感じで「この人の本は私の分野では読んだほうがいいから買って読むけどこの人の書き方あまり好きじゃないんだよねー」と近いうちに友達にいうであろう言葉を頭の中で言っていた。なんか基本的に意地が悪い、というかなんであえてそんな言い方するの、とか思う部分が多いのだけどもう大御所だからか書評とか見るとそこはもうみんなわかってることとして、みたいな感じなんだよね。わかってないよ、私は、と思うし私の英語の読み方がおかしいのもあるだろうからな、とぶつくさ思った。何かをだしにしてる感じが嫌なのよね。お料理だけにしといてくださいよ、と思っちゃう。嘘つきの優しい言葉よりはましか。あー悪口悪口。

ジュリアン・ラージは今日も優しくて確かな音色を超人的なテクニックで奏でてくれる。ミュージシャンたちのSNSが好きでよく見てるせいかFacebookで勝手に流れてくるのもそんな画像ばかりなんだけどものすごいのがいっぱいある。ライブ会場、どこまで広がってるの、砂漠なの?というくらいずっと遠くまで人で埋め尽くされてるライブとか。この前、年齢的に生きてる時代が重なっていない二人が一緒に写ってる写真があって面白いなと思ったのだけどついてたコメントが「フェイクだ!」という指摘でびっくりした。まあそうもとれるかと思ったけどこれも前もってもっている知識とかその対象に対する思いとかが関係してくるから難しい。載せた人のことは全然知らないけどしかしたら本当にフェイクとして載せてる可能性だってあるものね。難しいな。

今日もいろんな言葉と出会う。がんばりましょう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生