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精神分析

ゴミ山

今日は雨みたい。昨晩、雨マークが出ていたけど帰り道は降られずに済んだ。朝、保育園に持っていったビニール傘が帰りにはどれだかわからなくてなっていた。でもこれだろうというものを保育士さんと選んで持って帰った。ビニール傘の種類に驚くとはいえ印つけておかないとすぐにわからなくなってしまう。違いのわかる女、ではない。ネスカフェの「違いのわかる男」CM懐かしいね。女も出ていたと思うけど。ダバダー♪

アジアンドキュメンタリーズがラスト・ツーリストを紹介している。原題もほぼ同じ。The Last Tourist。 2021年製作、101分、撮影地はタイ、ペルー、ケニア、インド、カンボジアなど。インドも入っている。

今年、インドのアジア最大最古のごみ山デオナールごみ集積場のことを描いたノンフィクション『デオナール アジア最大最古のごみ山 くず拾いたちの愛と哀しみの物語』が翻訳出版された。著者はソーミャ・ロイ、ムンバイの最も貧しい零細企業家の生活を支援するヴァンダナ財団を共同設立し、デオナールから融資を求めてくる人たちと出会い、この現実を物語にした。いや、現実をある少女を中心に描いた。これはノンフィクションだ。読み始めたときにブログにもnoteにもメモ的なものを書いたが、希望とか絶望とかいう言葉で何かを見出すにはあまりにごちゃごちゃした現実がそこにあった。ゴミ山には全てがあった。赤ん坊の死体も暴力も犯罪も。でも彼らのものは何もなかった。少女の名前は18歳になるファルザーナー・アリ・シェイク。この話の中で彼女はブルドーザーに轢かれ生と死の境を彷徨う。ゴミ山での暮らしは最初から生と死の間にあるともいえるが彼女はそこで生きてきた。死の淵で彼女は恋をし結婚し子供を産んだ。ゴミ山地区の閉鎖をめぐる裁判と並行して彼女たちは生きていた。しかし「ファルザーナーのような人々、カルヴァーレーで暮らしていたような人々が、法廷ではいまだ目に見えない存在であり続けている」。身代金目的で義兄の息子を誘拐したファルザーナーの兄は弟にいつも言っていた。「ファルザーナーの世話を頼む」。刑務所でガラスの仕切り越しに赤ん坊を見せるファルザーナー。「おまえは大丈夫なんだな?」と尋ねる兄。ここになんの矛盾があるだろう。ゴミ山の地面をならし、ファルザーナーを轢いたブルドーザーの運転手の裁判はこの先も行われることはないのかもしれない。ファルザーナーは笑う赤ん坊の鼻をくすぐりながらいう。「お人形さん、その笑顔はあなたのものじゃないの。わかる?」赤ん坊のアエシャ(「賢者」の意)はけらけら笑う。

ためし読みはこちらでできる。今年読んだノンフィクションの中で最も心に残った本だった。私が子供の臨床をする立場だからというのもあるだろう。ただそこにとどまるしかないという現実に読者としてとどまることをせざるをえない一冊だった。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生