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精神分析

1月10日(水)朝

寒さを感じる前に寒い場所での色々は一気にやった。リビングに戻ったら暖かい。これをまだ暖かいと感じる間に着替えた。昨日新潟中越地域でも地震があったと聞く。寒さだけはどうにもならないのかもしれないが少しでも暖かく地面の揺れと遠い場所にいてほしいと願う。新潟に越したという友人は元気だろうか。

今朝は相模原の「菓子工房くろさわ」の干支ホワイトチョコを食べている。神田近江屋洋菓子店が能登半島地震の義援金を集めるためにチャリティエコバッグを作るにあたり

・石川県所在地でチャリティバックを作成できる会社

・石川県在住もしくは出身でデザインしていただける方

を募集していた。東日本大震災の後、被災地の方から海での仕事がなくなってしまったことが非常に心配なことだと聞いた。私は多くの女性が港で従事していた細かい作業のことを意識できていなかったのでそれを聞いて衝撃を受けた。郡山の避難所で子どもの遊び場の整備をしながら被災者でもある保育士さんが「うちが被災地」と子育ての大変さを笑いながら話してくれたのとはまた異なる気持ちになった。それぞれに毎日毎日してきたことがある。それができなくなった。ルーティンがなくなるというのは本当に大きな変化だ。しかも予期せず。人間はそんなに変化に強い動物ではない。私は特に変化を苦手とする人たちと会っているが変化に強い、という人がいるとも思わない。見通しを持てるかどうかでそれに対応できるかどうかは変わってくる。精神分析に時間がかかるのはその対象が変化できなさ(欲動の問題でいえばしたくなさだけど日常言語での「したくなさ」とは意味が異なるので使用が難しい)だからだろう。しかも表面的なスキルではどうにもならない部分の動きを変えていくようなものだからリスクもある。それを助けてくれるのが高頻度、カウチ使用という密な設定だ。生活の大半を何気なく埋め尽くしていた作業がなくなること、意識せずとも居場所になっていたところを失うこと、自分は何をしていたのか、あれはなんだったんだろう、これからどうすればと連鎖的に生じてくる不安にパニックになることだってある。色々と考えるだけでやりきれない想いになるが「そういうこともあるのか」と知るためには現場に触れる必要がある。それは現地に行くということだけではなく現場の情報に触れてひどく限定的な自分の想像力を刺激することでもあるのだろう。失ったものの大きさも日常が少しずつ戻るのと並行して意識されるのだろう。迅速で集中的な対応のあとも長く長く関わりが必要であることを私たちはいくつもの災害から学んできたはずだと思いたい。できるだけ早くできるだけ先に繋がる支援を現地の情報に触れつつ模索したい。どうかご無事で、ご安全に。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生