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精神分析

異なる文化

遅くなってしまった。朝の光はきれい。東側のブラインドからオレンジの光が入ってくる。今日もハーブティーにしょうがをすりおろしていれた。しょうがでも大根でもりんごでもすりおろすと香りも出ておいしい。おろし器を洗うのは苦手だけど。

昨日はずっと英語を聞いていた。意味を聞き取るのが精いっぱいでほとんど思考できなかったので発言もしなかった。ASIA PACIFIC ONLINE CONFERENCEというイベントでインド(IPS)、オーストラリア(APAS)、中国(CSGW)、韓国(KPC)、台湾(TSG)、日本(JPS)の精神分析家や候補生が集まった。前半は韓国と台湾の精神分析家のペーパー発表とディスカッション、後半はSmall Clinical Groupsだった。これは私も昨年発表をした。昨年じゃない、二年前か。早い。今年、私が割り当てられたグループはオーストラリアの候補生が発表するグループでリスナーもバランスよく全部の国の人たちがいた。文化の違い、というか自分がいかに精神分析状況に影響を与える他国の文化について知らないかということに驚いた。驚いている場合ではないがそれによって使われる言葉もコミュニケーションも変わってくることを実感した。だからよけいに理解が難しかった。先生方はアメリカやイギリスで仕事をしてきた人も多いので自分の国の文化というものに向ける注意の仕方もずっと同じような場所で仕事をしている私とは全く異なるのだろう。もちろんそういう移動することで得られる視点ばかりではなく、それに先立ち、それぞれにとって切実な文化的問題というのがある。たとえば出自の問題は精神分析では中心的な問題だが、それは「~系~人の患者」という紹介とか自己紹介にも日常的に現れたりする。これまでもこういう話をきく機会はあったわけだがきちんとコミットするようになったのが最近でしかもこんな小さなグループで議論をするわけだからさすがに私にも切実さが伝わってきたわけだ。こういう場だからこそ浮かび上がってくる問題に対する各国の先生方の言葉選びにも感銘をうけた。みなさん、英語がとても流暢だったが生活様式としての言葉というウィトゲンシュタインの考えに改めて注意を向けたりもした。治療で生じることは設定の問題も含め各国共通していることが多いと感じた。人の心の普遍的な部分と文化を含む環境の相互作用はたしかにもっと詳細に見ていく必要があるし精神分析はそこに貢献していると思った。私も今日も一対一という小さな関係で同じ文化圏で育ってきたはずなのにまるで異なる人たちと言葉で出会う。地道に学んでいこう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生