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精神分析、本 読書

『佐多稲子 傑作短編集』

紅いもタルトにミントティー。喉、鼻、頭痛をスッキリさせたい。

昨日は佐多稲子の短編集『キャラメル工場から ─佐多稲子傑作短篇集』(佐久間文子編、ちくま文庫)を読んでいた。最近、戦争、特に敗戦と憲法について考えていたからそのつながりで手に取ったのだろう。本屋での行動は大体無意識から始まる。佐多稲子は1904年生まれ。平成何年だか、10年かな、94歳まで生きた。大正モダンガールといえばなんとなくいい感じだが共産党、戦争、震災とも切り離せない作家であり、朝日新聞の戦地慰問に行ったことは敗戦後もずっと彼女を苦しめた。林芙美子もその一行の一人だったが同じように苦しんだ。何がなくとも本人は苦しんだだろうけど周りからの批判も強かった。今と変わらず人は好き勝手いうのである。無事に帰ってきてくれて本当によかった、とはならないのか。ならないのである。無事に帰ってきてしまったがゆえになんか言われるのだ。彼らが兵士の話を聞いたり、こういう文学を書いていなかったら私たちは敗戦や小林多喜二の死から何を学べただろう。人の死から学ばない人は人が生きていることも喜べないのだろうと思う。この時代は日本の精神分析導入期とも重なり、私はその文脈から敗戦などについて色々考えていたのだが、1920年代にフロイトの翻訳をした安田徳太郎は佐多稲子同様、小林多喜二の遺体と対面した一人である。私は長編を読んでいないのだけど佐久間文子の編集による佐多稲子のこの短編集は多分とてもバランスがいい。デビュー作「キャラメル工場から」は実体験からとはいえひろ子の目が捉える一瞬一瞬がリアルな格差を感じさせ心揺さぶる。どの作品も女の痛みや怒りを登場人物の対話によって正当なものとして浮かび上がらせる。以前、人の言葉を「全部正当防衛のつもりでしょうけど」とかいったバカ男がいた。自分への怒りを感情ではなく道具としてしか受け止められない人は相手を見下しその怒りを相手だけのものとして押し込めようとする。自分のダメさを知るのが恐ろしいからだろう。そういう人が哲学教えてたりするのだから哲学者たちの言葉もかわいそう。見下されたことのある女たちには佐多稲子を勧めたい。一緒に泣いてくれるし怒ってくれる文学だと思う。