カテゴリー

木曽路

宇多田ヒカルに起こされてしまった。せっかく夢を見ていたのに。夢を中断する大音量。実際には大ではなかったのかもしれないが中断に十分な音量だった。といっても稲葉浩志と恋に落ちるとか気持ち悪いハラスメント作家が同じくらい気持ち悪い目に遭うとか起きそうもないことは夢の中でも起きていなかったと思うし他愛もない日常を共に過ごす誰かと他愛もない会話をしているような夢だったのだろう。あっという間に忘れてしまったので夢はいまだに夢の中。

「木曽路はすべて山の中である」

島崎藤村のいう通りだった。これだけ多くの種類の緑と豊かな水に囲まれて過ごすこともないだろう。奈良井宿や妻籠宿、恵那だったらあまり歩けなくなってしまった、でもまだ歩きたい、旅をしたい年寄りを連れてこられるかもしれない。馬籠宿は坂がきつい。私は街道歩きが趣味の人と行ったので妻籠から馬籠までは中山道を歩いた。3時間弱だったか。少し坂がきつい箇所もあるがそれで足を止めるほどではなく所々で休憩できるベンチがある。途中の滝では少し水飛沫を感じられるところまで近づきゴーッという水音をしばらく聞いた。岩場の平らなところでは何か食べたり肩を寄せ合って滝を見上げている人もいた。晴れの予報と山道というほどではないコースという情報に甘えてトレッキングシューズではなく薄底のランニングシューズで行ってしまった。石と湧水のところだけは後悔した。足を守ってくれるはずの靴のせいで慎重になるのはよくない。面倒がらずに二足持っていけばよかった。陽射しは強かったが山の中は涼しかった。普段は耳にしない鳴き声もたくさん聞いた。すぐそばですごく大きな蛙の声が聞こえた。土の色と湧水の光に隠されてしまっているのか珍しい鳴き声に思わず足を止めたカップルと一緒に結構長く鳴き声のする方を見つめたが見つけることができなかった。

旅とは全く関係なく島崎藤村のことを話したばかりだったせいか藤村の親族が教えてくれた藤村の話や記念館の資料がなおさら興味深かった。木曽福島には藤村の姉の嫁ぎ先があり今も高瀬家資料館として子孫によって維持されているのだ。「家」の舞台になった場所である。ちなみに記念館は馬籠宿、藤村が生まれた家の跡地にある。誰が何を話し何が話されず何が残り何が残されないのかということを明智で大正時代の新聞や広告、映像などを見ながら、恵那で大井ダム建設に尽力した福澤桃介について知りながら、地元の人と話しながら考えていた。

もう準備せねば。仕事仕事。しばらく我が家は和菓子天国。木曽路の宿場町は金沢に次ぐ和菓子屋さんの充実ぶり。駅から歩ける範囲にあるからそれぞれの店の個包装のをひとつずつ買ってはベンチを探してお茶と一緒にいただき、食べられないのはバッグに溜めてきた。いっぱい食べたはずなのにいっぱい持ち帰ってこられた。どこのお店もひとつずつしか買わないのにいろんな話をしてくれたり丁寧に対応してくださった。開業してから旅は商いについて学ぶ機会にもなっている。結構シビアな商売を女一人でやっていくこと、もちろん多彩な繋がりに支えられているとはいえなかなか大変なこともあるので個人で商いを営みながら生活をする人たちから力をもらうことは多い。

そうだ、國分功一郎さんがご自身も運動されていた住民投票に関するシンポジウムについてツイートしていた。あれから10年、小平の自然を分断する道路計画が動き出しそうだという。自然の力を目の当たりにするたびにやはりこれは大きな問題なのだと思わざるをえない。本来なら住民の方々がしてきたことを国がやるべきだっただろうに。

なんだか今日はあまりに言葉にならないことが多すぎるな、と書きながら感じる。ここはサラサラと出てくる部分だけさらうように書いているけどその浅さと沈殿していくものの対比を重たく感じる。大井ダムの水深もどんどん浅くなっているらしい。掘っても掘っても溜まっていく。人間って、私って、といつも以上に感じる。とりあえず今日も過ごそう。みんなも元気で。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生