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Z世代のうたい手たち

空が赤みがかって水色とピンクが混じり合う時間。今朝もまだ風が強い。昨日、新宿の上空に次々現れる飛行機を見上げながら見送った。いつの間にか月が大きく出ていた。近くの森でアブラゼミが鳴いている。ミンミンゼミが鳴き始める頃には出かけよう。

キャロル・キングの優しい歌声を流しながら先日読んだ『ユリイカ』2022年8月号

<今様のうたい手>
何万回でも光る遠吠え! 初谷むい
川柳のように 暮田真名

を思い出していた。オフィスに置いてきてしまったので見直せないが同世代の二人の文章にはしみじみ思うところがあった。1990年代後半、2000年手前に生まれた子供たちだった彼らは短歌と川柳の世界で早くも輝き始めている、と書きたいところだが彼らにそんな陳腐な言葉は似合わない。

彼らはその時代のその年齢らしい悩みを抱えながら生活する中で偶然出会ったものに素直に反応し自分の好きなことをやっていたら早くもその才能を見出されただけという感じで自然体であると同時に短歌にできること、川柳にできることをしっかり発信している職人であるようにみえる。愛想もあまりない感じなのになんだかかわいい。自分のあり方を模索し苦しそうな様子も見せるのに今回のような散文で見せるバランス感覚はこの世代独自のものと感じる。AI時代の彼らは人間そのものと塗れなくても寂しさや苦しさを癒す方法を知っているからだろうか。若い患者たちの世界にもそれを感じる。もちろん私の主観に過ぎないが、彼らの作品や文章はエネルギーはあるのにこちらを巻き込んでくる感じがない。私は見かけがいくらカッコよかったり素敵であったとしても人目を気にしすぎではと感じてしまうと冷めてしまう。自分がそういうのをめんどくさいと思っているから上手に受け取ることができないのだろう。器が小さい。一方、Z世代と呼ばれるらしい彼らは自分がどう見られるかよりも自分がいる世界のことを気にしていて、そことどう折り合いをつけたらいいのかナルシシズムと格闘するのではなく小さな無理を重ねては解消し少しずつ進む形で自分を大切にしているように感じる。今回掲載された散文は文体も雰囲気もだいぶ異なるが、壊しては出会う、生きてるってその繰り返しだ、ということを二人とも書いているように思った。その循環によって過剰な表現(=死に急ぐ可能性)は遠ざけられているのだと感じた。

イギリスの小児科医であり精神分析家であるウィニコットは主体が空想できるようになり、生き残った対象を「使用」できるようになるプロセスをこんな風に表現した。

‘Hullo object!’ ‘I destroyed you.’ ‘I love you.’ ‘You have value for me because of your survival of my destruction of you.’ ‘While I am loving you I am all the time destroying you in (unconscious) fantasy.’ 

ーWinnicott, D. W. (1971)

6. The Use of an Object and Relating through Identifications. Playing and Reality 17:86-94

邦訳は『改訳 遊ぶことと現実』(岩崎学術出版社)「第6章 対象の使用と同一化を通して関係すること」である。

「こんにちは、対象!」「私はあなたを破壊した。」「私はあなたを愛している。」「あなたは私の破壊を生き残ったから、私にとって価値があるんだ。」「私はあなたを愛しているあいだ、ずっとあなたを(無意識的)空想のなかで破壊している」と。

若い世代に自分たちの世代が負わせてしまったものを感じる。でもそれを生き抜く彼らのバランス感覚を頼もしくカッコいいとも感じる。あなたたちのために、なんて今更いうことはできない。ただ彼らの世代が「自分自分」とがんばらなくても大丈夫なようにできるだけ広く注意をはらいたい。早くもトップランナーになりつつある彼らはきっとそれに協力してくれるだろう。

「また会ったね」としぶとい自分に笑ってしまいながら卑屈にならずにいこう。といっても難しいから卑屈になっても壊れても回復しながらいこう。そういう力は強度の差はあるかもしれないが誰にでも備わっているはずだから。いいお天気。とりあえずカーテンを少しだけ開けるところから。

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短詩

言葉イベント

明日はこれ→https://aminooffice.wordpress.com/2022/06/30/【東京公認心理師協会地域交流イベント

誰かが何かを教えるわけではなく同じ職種の方々との交流の時間を持つ。テーマがあった方がよかろうというか、東京公認心理師協会の地域交流イベントはテーマ設定を求められているので「言葉」とざっくりしたものにした。元々は暮田真名さんを呼びたいというところから始まったが外部講師を呼ぶための謝礼も出してもらえないし、あくまで内側でというような感じだったので暮田さんをお呼びするのは私個人ですることにした。地域のNPOを長くやっていた私からしたら謝礼云々はともかく、外部に自然に開かれておけない状態自体、すでに交流を閉ざしていると考える。

関わりたい時に関わりたい部分だけに関わることを私たちは避けがたくしているわけだけどそこに意識的でないことが様々な傷つきを生じさせている気がする。今ではSNSがそれを巧みにできるツールだということは自分自身の体験を振り返れば大抵の人は思い当たるだろう。私は大いに思い当たるので使用の仕方には意識的な方だと思う。ただ、自分では気をつけても気をつけても難しいので使わないのが無難とも思っている。みる方としても随分気持ちに負荷がかかるのでなおさら自分がそれをしてしまっていないかを考える。

さて、今回は対面。協会の地域交流イベントに応募してみようと思ったのは私がSNSで公認心理師でポエトリーアーティストの松岡宮さんの活動を知り、オフィス見学をさせていただいたところからだった。私はプライベートプラクティスをメインの仕事にしているのでもはや時間がとれなくなってしまったが、松岡さんは私が昔から好んでやってきた活動を大田区の一軒家でやっていらして、しかもそこでご自身のCDや詩集も作られているとお聞きした。1時間ほど楽しくおしゃべりをして別れた。数週間後には松岡さんが私のオフィスに来てくれた。そこで協会から地域交流のパンフレットが来ていたと見せてもらった。私はまだそのお知らせの封を開けていなかったのだけどすぐに応募を決めた。松岡さんはオフィスで高次脳機能障害の方々のピアサポートを地道に行っている。このような場所を持つ人自体今は減っているし、行政との関わりを個人オフィスが維持しているのも貴重なことだ。このような活動はモデルになってくれるし根付かせていくことを彼女も望んでいたし、それを応援したかった。

それは単に以前の活動の代わりというわけではなく、現在も私は発達臨床の仕事を請け負う杉並区の社団法人に登録し行政から保育園巡回の仕事を委託されて行っている。なので私自身の職場環境を考える上でも重要だと感じた。行政の仕事でもっとも重要なのは予算を得ることだがその分野で経験を積んだ専門職で構成されている団体にお金を出すことの意義は年々認めてもらいにくくなっている。資格を持っていれば誰でも、ということでより安い給与で別の形式での雇用も始まった。非常勤の掛け持ちで生活をしている人の多い東京の心理職の職場は飽和状態なゆえ求人があるだけありがたいと感じる人だっている。それだけで生活はできないにも関わらず。この悪循環は心理職全体の問題だと思うが、杉並区の場合は新しい区長に期待したい。お役所を通すと何事にも時間がかかるが文句だけいってても仕方ない。

その点、松岡さんや私のように自分でオフィスをもち仕事をしているとフットワークは軽い。今回もほとんどノリでやっている。「あそぼー。」「いいよー。」という感じで。こういうのが大事だと私は思う。

今後、心理職が外に自然に開かれるために、という目標を掲げなくてもなんとなく繋がっておくことは災害時などにも役に立つ。そのためにまずは自分たちの文脈と相手の文脈がどう異なるかを意識化するために自分の発話、相手の受容と反応という繰り返しを辿ることからはじめてみるつもりだ。「はじめまして」なので素材があった方がやりやすいだろうということで3つの素材を考えた。タスクではないのでやらねばというものでもない。当日の変更も可能だ。一応松岡さんと話したことを私のメモとして書いておく。

素材は①それぞれの職場環境 ②女性性、男性性を語る言葉 ③川柳句集『ふりょの星』暮田真名(左右社)より「OD寿司」である。

文脈が異なるといえばすでに職場環境からしてそうだ。先述したように自分の仕事は働く場所によって大きく規定される。私たちが自己紹介をするときに自分の職場環境をどう表現するか、受け手はそれをどういう場所として受け取るか、自己紹介は通常は一方通行の発話だが録音したものを(余裕があればテキストにして)辿り直し、どの部分で何をどのように受け取ったかについて話し合う。みんな同じようで異なる前提のもとそれを解釈していると思うので小さな違いを楽しめたらいいと思う。

さらにせっかく中立性をあり方の基本とする心理職が集まるので分断の解消を目指す言葉がさらなる分断をうむ事態について話しあってみる。最近の事件で心理職全般への信頼度は下がっているかもしれないがそういう大雑把な括り方をされたくないなとも常々思うし、世間という受け取り手の特徴についても同時に考えられるだろう。

そして最後にそこまで丁寧にお互いの前提や文脈を確認してきた時間から言葉の意味を解体する時間にジャンプしたい。そのための素材が14日にワークショップを開いていただく川柳作家暮田真名さんの川柳句集『ふりょの星』に収められた現時点での暮田さんの代表連作「OD寿司」だ。

フロイトは圧縮と置き換えを夢解釈の技法とした。暮田さんの川柳は置き換えの機能を存分に発揮し、意味と言葉の繋がりはゆるゆるだ。一方、断言するような文体は、文法は間違っていないが自分の文脈仕様に単語の意味を変えて使うロボットの言葉を聞いているようでなんとなく説得されてしまう。煙に巻かれるのは楽しい。そこまで立ち上げてきた「共有」の空気を一度かき消しその遊びをすることで一緒に笑ったり考え込んだり意味ではなく体験の協働をする。

そしてお茶とお菓子をいただきながらこれらの体験を振り返る。そんな流れだ。7日に参加してくださった人にはぜひ14日もきていただきたいがお盆の時期で今年は帰省をするからいけない、残念、また絶対やって、という人が多く、一方でコロナ自粛をする人も重なった。当日はコロナ対策は十分にするが人数が少ないのは最大の対策だろうとも思う。なので少人数での開催もいいものだと思っているがいろんな人に暮田マジックともいえる言葉遊びを伝えたい気持ちもある。

一応ご案内はこちら。ご案内には有資格者限定と書いてしまったが、資格のあるなしに関わらずなんらかのケアを行っている方々はお気軽にお申し込みを。いろんな人の言葉との出会いを楽しみに。お楽しみに。

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はじめまして川柳

来月8月14日(日)午後、暮田真名さんをお迎えしてワークショップをおこないます。暮田さんにはすでにたくさんのキャッチーな修飾語がついていて、私もあえていろんな言葉で暮田さんを紹介してきました。でも多分どれもあっていてどれもちょっと違う感じがするのです。一番シンプルにいえば「暮田真名さんは20代で、川柳を書く人です」となるでしょうか。

暮田さんのこれまでとこれからについてはご本人がnoteにシンプルにまとめておられるのでそちらをご覧いただくのが一番いいかもしれないです。

暮田真名の活動と制作物、やってみたいお仕事

以前に書きましたが私が暮田さんを知ったのは俳句仲間の友人のお宅で彼女と1歳になる娘さんと楽しすぎる時間を過ごした帰りの電車でした。流し見していたSNSでふと「あなたが誰でもかまわない川柳入門」という文字が目に留まりました。「あなたが誰でもかまわない」って今思うと攻めた言葉とでもいうのでしょうか。とても今っぽいともいえる。それこそSNS的な。でもそのときの私は俳句の話をいっぱいしたあとだったせいかその何も求められていない感じに惹かれ俳句だって入門だけしてぼんやりしているのについ申し込んでしまったのです。知らない世界に飛び込むときの私はいつもそんな感じだなと思います。

時間的にアーカイブで視聴するしかなかったのですが暮田さんの導入を素晴らしいと思いました。今思えばそこにも結構とんがった感じの話が混ざっていたように思うのです。でもそんなことを思ったのも暮田さんがまだ若い方だと思ったのも後からでした。もちろんお顔も見えているわけなのでその若さを認識はしていましたし、とてもパーソナルな自己紹介でもあったのですが、そんなことはどうでもいいというか「あなたが誰でもかまわない」というのは受講する側である私が持つものでもあったようなのです。

だから暮田さんをどう修飾しようとどれもあっているようでどれもちょっと違う感じがしてしまう。そして多分それは川柳の特徴でもあり、普通に考えれば人ってそういうものでしょう、ということでもあるかもしれない。私は暮田さんの講義を聞いて、川柳ってどこに出かけなくても何も持っていなくてもぼんやり寝転がって天井を眺めたままでもできてしまうことを知りました。また、川柳って好き嫌いの対象にはなっても良い悪いという評価の対象にはなり得ない性質を持っているらしいということも学びました。

暮田さんが4月に出された『ふりょの星』も書名からしてそれが何とは同定しにくいですものね。アイデンティティってなんでしょう。暮田さんを通じて幸せな「はじめまして」を川柳にしたもののまたぼんやりしていますが、その魅力を少しずつ感じられるようになっている気はします。

例えば昨日あげた左右社から4月5月6月と3ヶ月連続で出版された3冊の川柳句集もそうですし、暮田さんが講座の中で入門書として紹介してくれた小池正博編書『はじめまして現代川柳』なんて装幀も内容も最高の入門書だと思います。俳句にも様々な入門書やガイドブックがありますが私にはどれも少しずつ過剰に思えてしまう。一方『はじめまして現代川柳』は昭和の歌番組(「ザ・ベストテン」とか)のように説明は最小限、作品重視という感じの作りで息抜きしながら学べてしまいます。そういえば「あなたが誰でもかまわない」って昭和の歌謡曲っぽくないですか。私はそこに惹かれてしまったのかもしれない、時代的に。

もう行かなくては。また別の本のことも思い浮かんだからそのことも合わせて明日書くかな。とりあえず今日も暑そう。どうぞお気をつけて。

ちなみに「あなたが誰でもかまわない川柳入門」第二期はこちら。暮田さんの「授業概要」読み応えありますよ。