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かわいいといえば、とか。

眠い、すぐに眠ってしまう。急に涼しくなったから身体がついていかないという人が多い。私もそうなのかもしれない。あくびばかりでる。仕事のことで音声入力を使ったら変換間違いがおかしかったのでふざけて関係ないことも入れてみた。「あくびが出てしまう」と適当な口調で言ってみたら「歯茎がでてしまう」と出た。変換後の文章を文字としてみても変換前になにを言ったのかわからない。「粘着の間違い」ってあるんだけど私はなにを言ったのだろう・・・。英語だったらもっとひどいんだろうなあ。「人間は弱いかな」とかもある。絶対こんなこと言っていない。弱いだろ。言ってもいないのに返事しちゃった。こういうことって実は日常的に起きているのかもしれない、と思うと少し心配ね。でもそこから生まれる遊びもあるかな。ここでもたまに変な間違いしてるんだろうね。

私が思わず「かわいい」というと「かっこいい」と言い直す園児がいた。「かっこいい」と言い直すと満足そうだった。彼女は結構大きくなっても「かわいい」という言葉がしっくりこないようでみんなが「かわいい」というものにもそんなに興味がもてないようだった。「きれい」「すてき」という言葉はとても自然に使っていた。ちっちゃい子が「すてき」とかいうとかわいい。その子の前で赤ちゃんのことを「かわいい」と言ったら「私は?」と言われた。あらあら。「すごくかわいい」と言うとそこそこ満足そうだった。

かわいいといえば暮田真名さんの川柳に「かわいい」という言葉を使ったものがあったがなんだったか。(「かっこいい」だった!in『ふりょの星』左右社)暮田さんが「暮田真名以外」というアカウントに載せているstand.fmのラジオが秀逸。やっぱり頭がいい。声もいい。喋り方もいい。淡々とした一人漫才も面白い。一人喋りがこれだけうまいのだから漫才もできちゃうだろう。というか漫才の才能がある人は一人喋りがうまいのだろう。なんてことない出来事の一部を広げていくしかたが新鮮ですごくいい。記憶力もいいのだろう、というか暮田さんはとても頭のいい人だと知っている。川柳に記憶力は必要ないと暮田さんはおっしゃると思うのだけど辞書に載っていない言葉を含め、語彙力は絶対に必要だと感じる。あと軸のブレなさ。教え方とかもびっくりするくらい上手なのですよ、暮田さん。誰にでも通じるものにする工夫をずっとしている気がする。川柳をというよりあの教え方を体験しにいくのもいいんじゃない?と思ったりする。それにしても暮田さんの文化は新しい。最近「くるり」の新譜が出たが「くるり」くらいだと共有できるのかな。ブルース・スプリングスティーンは共有できないかも・・・。知識としてはできるけどこの熱狂とかあの想いとか。最近、柳樂光隆のプレイリスト「for Joshua Redman”Where Are We”」に大好きなブルース・スプリングスティーンを発見して再び聞いている。柳樂光隆さんの記事を読むようになってよかった。自分の音楽の歴史が想起されたことに驚いた。記憶力ないのに。Netflixでは今も『SPRINGSTEEN ON BROADWAY』が見られる。『ボーン・トゥ・ラン ブルース・スプリングスティーン自伝』(早川書房)と繋がってるんだと思う。この本はファン必携。かわいい赤ちゃんのときの写真から始まりますよ。赤ちゃんはかっこいいとはいわないよね、あんまり。行動にはいうと思うけど。そうか、彼女は「かわいい」は見かけのことというか全体を表す言葉としてはしっくりこなかったのかもな。

今日はいいお天気。乾燥もはじまった。身体大切に過ごしましょう。

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短詩 読書

暮田真名さんと川柳WSをした。

数年ぶりに最初の職場の先輩と会えた。コロナ禍で仕事がオンラインに切り替わる中、もう一人の先輩にzoomの使い方を教えるついでにおしゃべりして以来かな。LINEではたまにやりとりしてたけど。先輩たちの子供たちもおもしろかわいかったな、あの時。ちっちゃなときから知っているけど先輩たちが母親になってもずっと私の知っている彼らなままであることにいつもちょっと驚く。そして昨日もいつものままだった。飛びつくように再会を喜ぶ私にも普通にのんびり喜んでくれて日影茶屋の水ようかんをくれた。

8月14日は14時から16時まで川柳作家の暮田真名さんをお招きしてワークショップを行った。紀伊國屋の詩歌コーナーがある2階で待ち合わせをした。もちろん暮田さんの『ふりょの星』もある階。左右社から4、5、6月と3ヶ月連続で刊行された川柳本も相変わらず平積みされていた。こんなおしゃれな本たちが川柳の本であるとどのくらいの人が知っているのだろうか(知ってほしい)。

暮田真名『ふりょの星』平岡直子『『Ladies and』なかはられいこ『くちびるにウエハース』(いずれも左右社)

生まれてはじめて川柳と向き合う参加者のみなさんにとってサラリーマン川柳とは異なる川柳というものがこんな形で存在することがすでに驚きだったらしい。先輩は最初の感想で「それだけでもすごい収穫」といってくれた。これまでそうとしか思っていなかったものに別の世界があったという意外性との出会いに素直に感動する人なのだ、昔から。

サラリーマン川柳で名を馳せた人とかいるのかな、そういえば。あれは笑って流せる感じが「川柳」という言葉が持つ流れて消えていくイメージと響きあうことで世に広まったのかもしれないね。共有すべきはそれぞれの事情ではなく会社員で配偶者がいてこういうことを言っても崩れない程度の関係性をもった主に男性というなんとなくの前提。それを「川柳」という言葉のイメージ通り聞き流してきたのが私たち。それに対して「穿ち」「おかしみ」「軽み」に主観性と詩的要素が加わったその歴史の流れのなかで川柳観を育まれつつ実作しているのが暮田さんたち。(『はじめまして現代川柳』参照)。歴史認識のあるものとないものが同じ名前を持ってしまったこと、そして大抵の場合、歴史認識のないものの方が市井の人には広まりやすいことは現代川柳が詩性を兼ね備えたものとして読まれる機会を減らしたかも知れない。また、ちびまる子ちゃんの「友蔵こころの俳句」、それをもじった「〇〇こころの短歌」など「思い」発の言葉を定型に投げ込むことに馴染みがある私たちにとって「思い」ではなく「言葉」から書く(これも『はじめまして現代川柳』を参照)現代川柳の存在は遠かったのかもしれない。だから暮田さんがサラ川には登場しない私やあなたや彼らたちいろんなみんなの存在を思い出させたnoteの記事「#01 川柳は(あなたが思っているよりも)おもしろい」も話題になったのだろう。先輩が「収穫」といったのももちろんこの視点の(再)獲得のことだと思う。

ワークショップでは『はじめまして現代川柳』の編著者小池正博さんの川柳を用いた穴埋めでいかに私たちが最初に浮かんだ言葉から離れられないか(全然それで構わないわけでもある)を知り、その広告が持つ意図をいかに台無しにするかという穴埋めではなかなか台無しにするのは難しい(意味の変更はできるが)ことを知り、生まれてはじめて川柳を作る時間ではわけわからないまま文字を組み合わせる自分と出会う体験をさせてもらった。やや混乱しながらも普段から逆転移としてそういった感触がどこから生じるのかにも注意が向いているみなさんなのでその言語化も興味深かった。こういうのをどう体験するかは当然自由で、正解のない世界に戸惑いを感じてもそのまんまでいいし、やりたくなければやらなくてもなんでもいい(与えられても拒否してもいいとは思いにくいかも知れないが拒否はいつでもしていい)。ただそのような感触も体験しないことには生じない。

私が多くの情報が流れるTLで暮田さんの講座名「あなたが誰でも構わない川柳入門」という言葉に目を止めたのも無理がない。一人の人に複数的なあり方を認め、その力動によって立ち現れる現象を言葉にしていく精神分析とそれが響きあったのだろう。それを単なるイメージで終わらせるのではなく、まだアカデミアの領域にはないとはいえ、そのサークルの中だけでなく積極的に外に作品を送り出している実作者から歴史認識とともに川柳を学び、体験できたことは貴重だった。

参加者のみなさんはそれぞれ初対面だったが別れがたく暮田さんを交えお茶をして帰った。よく笑いよく喋った。なんかいいことをした気分になった。暮田さん、松岡さん、参加者のみなさんのおかげ。どうもありがとうございました。

早朝に日影茶屋の水ようかんをいただいた。最高だった。逗子にも遊びにいくからね。また一緒に美術館とか海とかいこう。先輩ありがとー。

ちなみにおしゃれでかわいい暮田さんの写真はTwitterに載せました。

今週もあっついですよね、きっと。無事に過ごしましょうね。

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短詩

言葉イベント

明日はこれ→https://aminooffice.wordpress.com/2022/06/30/【東京公認心理師協会地域交流イベント

誰かが何かを教えるわけではなく同じ職種の方々との交流の時間を持つ。テーマがあった方がよかろうというか、東京公認心理師協会の地域交流イベントはテーマ設定を求められているので「言葉」とざっくりしたものにした。元々は暮田真名さんを呼びたいというところから始まったが外部講師を呼ぶための謝礼も出してもらえないし、あくまで内側でというような感じだったので暮田さんをお呼びするのは私個人ですることにした。地域のNPOを長くやっていた私からしたら謝礼云々はともかく、外部に自然に開かれておけない状態自体、すでに交流を閉ざしていると考える。

関わりたい時に関わりたい部分だけに関わることを私たちは避けがたくしているわけだけどそこに意識的でないことが様々な傷つきを生じさせている気がする。今ではSNSがそれを巧みにできるツールだということは自分自身の体験を振り返れば大抵の人は思い当たるだろう。私は大いに思い当たるので使用の仕方には意識的な方だと思う。ただ、自分では気をつけても気をつけても難しいので使わないのが無難とも思っている。みる方としても随分気持ちに負荷がかかるのでなおさら自分がそれをしてしまっていないかを考える。

さて、今回は対面。協会の地域交流イベントに応募してみようと思ったのは私がSNSで公認心理師でポエトリーアーティストの松岡宮さんの活動を知り、オフィス見学をさせていただいたところからだった。私はプライベートプラクティスをメインの仕事にしているのでもはや時間がとれなくなってしまったが、松岡さんは私が昔から好んでやってきた活動を大田区の一軒家でやっていらして、しかもそこでご自身のCDや詩集も作られているとお聞きした。1時間ほど楽しくおしゃべりをして別れた。数週間後には松岡さんが私のオフィスに来てくれた。そこで協会から地域交流のパンフレットが来ていたと見せてもらった。私はまだそのお知らせの封を開けていなかったのだけどすぐに応募を決めた。松岡さんはオフィスで高次脳機能障害の方々のピアサポートを地道に行っている。このような場所を持つ人自体今は減っているし、行政との関わりを個人オフィスが維持しているのも貴重なことだ。このような活動はモデルになってくれるし根付かせていくことを彼女も望んでいたし、それを応援したかった。

それは単に以前の活動の代わりというわけではなく、現在も私は発達臨床の仕事を請け負う杉並区の社団法人に登録し行政から保育園巡回の仕事を委託されて行っている。なので私自身の職場環境を考える上でも重要だと感じた。行政の仕事でもっとも重要なのは予算を得ることだがその分野で経験を積んだ専門職で構成されている団体にお金を出すことの意義は年々認めてもらいにくくなっている。資格を持っていれば誰でも、ということでより安い給与で別の形式での雇用も始まった。非常勤の掛け持ちで生活をしている人の多い東京の心理職の職場は飽和状態なゆえ求人があるだけありがたいと感じる人だっている。それだけで生活はできないにも関わらず。この悪循環は心理職全体の問題だと思うが、杉並区の場合は新しい区長に期待したい。お役所を通すと何事にも時間がかかるが文句だけいってても仕方ない。

その点、松岡さんや私のように自分でオフィスをもち仕事をしているとフットワークは軽い。今回もほとんどノリでやっている。「あそぼー。」「いいよー。」という感じで。こういうのが大事だと私は思う。

今後、心理職が外に自然に開かれるために、という目標を掲げなくてもなんとなく繋がっておくことは災害時などにも役に立つ。そのためにまずは自分たちの文脈と相手の文脈がどう異なるかを意識化するために自分の発話、相手の受容と反応という繰り返しを辿ることからはじめてみるつもりだ。「はじめまして」なので素材があった方がやりやすいだろうということで3つの素材を考えた。タスクではないのでやらねばというものでもない。当日の変更も可能だ。一応松岡さんと話したことを私のメモとして書いておく。

素材は①それぞれの職場環境 ②女性性、男性性を語る言葉 ③川柳句集『ふりょの星』暮田真名(左右社)より「OD寿司」である。

文脈が異なるといえばすでに職場環境からしてそうだ。先述したように自分の仕事は働く場所によって大きく規定される。私たちが自己紹介をするときに自分の職場環境をどう表現するか、受け手はそれをどういう場所として受け取るか、自己紹介は通常は一方通行の発話だが録音したものを(余裕があればテキストにして)辿り直し、どの部分で何をどのように受け取ったかについて話し合う。みんな同じようで異なる前提のもとそれを解釈していると思うので小さな違いを楽しめたらいいと思う。

さらにせっかく中立性をあり方の基本とする心理職が集まるので分断の解消を目指す言葉がさらなる分断をうむ事態について話しあってみる。最近の事件で心理職全般への信頼度は下がっているかもしれないがそういう大雑把な括り方をされたくないなとも常々思うし、世間という受け取り手の特徴についても同時に考えられるだろう。

そして最後にそこまで丁寧にお互いの前提や文脈を確認してきた時間から言葉の意味を解体する時間にジャンプしたい。そのための素材が14日にワークショップを開いていただく川柳作家暮田真名さんの川柳句集『ふりょの星』に収められた現時点での暮田さんの代表連作「OD寿司」だ。

フロイトは圧縮と置き換えを夢解釈の技法とした。暮田さんの川柳は置き換えの機能を存分に発揮し、意味と言葉の繋がりはゆるゆるだ。一方、断言するような文体は、文法は間違っていないが自分の文脈仕様に単語の意味を変えて使うロボットの言葉を聞いているようでなんとなく説得されてしまう。煙に巻かれるのは楽しい。そこまで立ち上げてきた「共有」の空気を一度かき消しその遊びをすることで一緒に笑ったり考え込んだり意味ではなく体験の協働をする。

そしてお茶とお菓子をいただきながらこれらの体験を振り返る。そんな流れだ。7日に参加してくださった人にはぜひ14日もきていただきたいがお盆の時期で今年は帰省をするからいけない、残念、また絶対やって、という人が多く、一方でコロナ自粛をする人も重なった。当日はコロナ対策は十分にするが人数が少ないのは最大の対策だろうとも思う。なので少人数での開催もいいものだと思っているがいろんな人に暮田マジックともいえる言葉遊びを伝えたい気持ちもある。

一応ご案内はこちら。ご案内には有資格者限定と書いてしまったが、資格のあるなしに関わらずなんらかのケアを行っている方々はお気軽にお申し込みを。いろんな人の言葉との出会いを楽しみに。お楽しみに。