カテゴリー
精神分析、本

『まんが親』、フロイト技法論集から「勧め」論文。

おなかが気持ち悪い。おなかすいてないのに食べたのがいけない。すいてないなら食べなければいいのだけど食べないわけにもいかないのよね。食べてる間はおいしいし。あとでこうなるのもわかってるけど。

昨晩も今朝も吉田戦車の『まんが親』を読みながら時折声を出して笑っている。ほんとこどもあるあるで面白いんだけどさすが漫画家は子育てに苦労しながらも子供の言動をメモしてネタにしてるのね。面白いと思ったものを掴むのがうまいからこっちも面白いけど「え?そこ?」みたいなことを書く人がいたらいたらで面白いかもしれない。が、子供の言動こそが「え?そこ?」に満ち溢れているからどこを拾ってもあるあるとして面白いのかもしれない。大人はつまんねーな、と言ったところでおれも大人だし、というか相当大人。若くはないが私よりはずっと若いみなさんに教える立場になってからもそこそこの年数が経つが一方でまだ訓練途上でもある。分析、スーパーヴィジョン、セミナーの三本立て。そして毎月のミーティング。セミナーはもう規定時間数は修了しているが勉強に終わりなしなので今も参加することもある。先生方の教え方からも学ばないといけない。

昨晩は私が主催するReading Freudで『フロイト技法論集』(岩崎学術出版社)の「治療の開始について(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)」(1913)を読んだ。先月読んだ「精神分析を実践する医師への勧め」(1912)の続きとして読める。「精神分析を実践する医師への勧め」の22−23頁でフロイトは患者に自由連想を要求する精神分析を実践する医師であるならば患者と同じように以下のような態度を維持する必要がありますよ、ということを書いている。単なる技法の羅列ではなく、これこれこうするならばこれだってそうなのだからこれこれこういうふうにすべきでしょう、みたいな書き方をフロイトはよくしていると思う。説得力がある。

「単に何か特別のことに注意を向けることなく、耳にするすべてに対して(私が以前に名付けたものと)同様の「平等に漂う注意」を維持することである。」

「すべてに等しく注意を向けるという規則が、批判や選択なく思いついたことをすべて話さなければならないという患者への要求に対する必然的な対応物であることはわかることだろう。」

「医師に対する規則は、次のように表現することができるだろう。「自分の注意能力に対してあらゆる意識的な影響を差し控え、自分の『無意識的記憶』に完全に身をゆだねるべきである」。あるいは純粋に技法的に表現するならばそれは「やるべきことはただ聞くことであり、何であれ覚えているかどうかに煩わされるべきではない。」

など。これに続いて記録をとらないことの勧めも理由つきで書かれている。そして私が最も好きな一文もそこに。

「一方、最もうまくいくのは、言ってみれば、視野に何の目的も置かずに進んでいき、そのどんな新たな展開に対しても驚きに捕まってしまうことを自分に許し、常に何の先入観ももたずに開かれたこころで向き合う症例である。分析家にとっての正しいふるまいとは、必要に応じてひとつの心的態度からもう一方の心的態度へと揺れ動き、分析中の症例については思弁や思案にふけることを避け、分析が終結した後にはじめて、得られた素材を統合的な思考過程にゆだねることにある。」

この論考の後半は分析を行なう人は自分も分析を受けるべきだということがいくつかの観点から書かれている。

「他の人に分析を行おうとする者は全員、あらかじめ自分自身が専門的知識をもつ人に分析を受けるべきである」

「自分自身のこころのなかに隠されたものを知るようになるという目的が、はるかにより素早くより少ない感情的犠牲で達成できるだけではない。書物から学んだり講義に参加したりすることでは決して得られないような印象と確信とが、自分自身とのつながりにおいて得られるのである。」

など。21頁から33頁、全部で21段落。コンパクトだ。

昨日読んだ「治療の開始について(精神分析技法に関するさらなる勧めⅠ)」(1913)は35頁から61頁、全45段落。前の「勧め」論考の2倍近く頁を割いて「さらなる勧め」をフロイトはする。

こちらは「治療の開始について」とあるように分析を実践する医師の基本的な態度というよりは初回面接や治療初期の段階における設定や患者も疑問に思うであろう事柄(お金や時間)に対する態度について詳細に書かれている。まさに今日、私がグループで中堅のみなさんと話し合う事柄だ。

そろそろNHK俳句の時間だから細かく書かないけど「まずこれ読んで」と言いたい。

それではどうぞよい一日を。

カテゴリー
精神分析、本

漫画、フロイト、オグデン

昨晩は大正ロマン関連を色々チェック。旅に出るから。袴で街をそぞろ歩きしたい。今朝は吉田戦車『伝染るんです。』をパラパラ。少しずつ積み上げられた本と論文の整理をせねばと単に別の場所に移動させるようなことをしているときに見つけてしまった。ちっこい文庫。『はいからさんが通る』ではなくこっちを見つけてしまった。これ帯もつけっぱなしにしてたんだ。1巻「読んだらキケン!』2巻『不条理来襲』3巻『枠組み破壊』4巻『爆発的伝染力』5巻『非常識の完結』。『伝染るんです。』なんだから4巻のはどうかな。まあ大きなお世話かな。今こんなことしてる場合じゃいないんだよー(泣)。でも面白いよー。それにしても部屋がひどいことになっている。

Reading Freudも事例検討グループも始まったからインプットを増やしていかないとなのに別のことばかり調べてしまう。英語論文とか最近ちょっとしか読んでないからめちゃくちゃ読むの遅くなってるし。そんな賢いわけではないのだから真面目にやらないとなのにね。あー、吉田戦車とか大和和紀天才。フロイトと同じくらい読むべきものたちと思う。

一応、私が読書会でいつも言っているフロイトの書き方に意識を向けることについて話すためにオグデンの2002年の論文を再読したのであげておこう。これはオグデンの単著に入っていただろうか。訳されていないけど誰かが編集している本に入っていることは知っているけど書名を忘れてしまった。漫画読んでないでこちらをチェックしないとね。

Ogden, T. H. (2002) A New Reading of the Origins of Object-Relations Theory. International Journal of Psychoanalysis 83:767-782

The author presents a reading of Freud’s ‘Mourning and melancholia’ ということでフロイト全集14の『喪とメランコリー』をオグデンが再読。この論文は対象関係論のはじまりと言われている論文。これは十川幸司訳の『メタサイコロジー論』にも収録されているからそっちで読むといいかも。フロイトが短期間で一気に書き上げたというメタサイコロジー論文の中でも最重要。

オグデンが重要と考えるのはvoice。太字は私が太くしました。

the way he was thinking/writing in this watershed paper.

オグデンはのちに‘object-relations theory’(対象関係論)と呼ばれる心の改訂モデルの背景にあるフロイトの考えを以下に要約。

(1) the idea that the unconscious is organised to a significant degree around stable internal object relations between paired split-off parts of the ego

(2) the notion that psychic pain may be defended against by means of the replacement of an external object relationship by an unconscious, fantasied internal object relationship

(3) the idea that pathological bonds of love mixed with hate are among the strongest ties that bind internal objects to one another in a state of mutual captivity

(4) the notion that the psychopathology of internal object relations often involves the use of omnipotent thinking to a degree that cuts off the dialogue between the unconscious internal object world and the world of actual experience with real external objects

(5) the idea that ambivalence in relations between unconscious internal objects involves not only the conflict of love and hate, but also the conflict between the wish to continue to be alive in one’s object relationships and the wish to be at one with one’s dead internal objects.

要約だけだとまあそれもそうかという感じかも。症例の話がないとということで興味のある方は本文も読んでみてください。

ちなみにオグデンは下に書くフロイトの論文の終わりの部分を引用して患者の実際の生活に根ざしていないと精神分析もthe self-imprisoned melancholic who survives in a timeless, deathless (and yet deadened and deadening) internal object worldと変わらないよ、ということでこの論文を閉じています。

Freud closes the paper with a voice of genuine humility, breaking off his enquiry mid-thought:

—But here once again, it will be well to call a halt and to postpone any further explanation of mania … As we already know, the interdependence of the complicated problems of the mind forces us to break off every enquiry it is completed—till the outcome of some other enquiry can come to its assistance .

オグデンは少しだけ省略してしまっているので十川訳の方からこの部分を引用しておきます。
「しかし、ここでは再び立ち止まり、まずは身体的苦痛、それからその苦痛と類似した心的な苦痛の持つ経済論的な性質への新たな理解が得られるまで、マニーについてのさらなる解明は延期するのが適切だろう。周知のように、錯綜した心的な問題は相互に関連しているため、他の研究成果を役立てられるようになるまで、このような研究は不完全なまま中断せざるをえないのである。」

これぞフロイトの書き方という感じがする。フロイトには常に次へ継続するための中断がある。実際、ここに書かれたことは継続的に探究され別の論文に書かれています。フロイトを読み始めるとこうやって読み続けることが必要になってしまうことをみんな無意識的に知っていて敬遠してしまうのかな。ここに書いてあることがよく掴めなくてもまた出てくるから大丈夫、ということを私はよく言うけど。精神分析みたいな心の探求は時間がかかってしまうのですよ、反復につぐ反復を扱うから。まずは反復を認識するところから時間がかかるし。うーん。体験と結びつくと多分かなり読みやすくなるのだけど読むために体験するわけではないしね。精神分析を体験するのはフロイト全集を買うよりもお金もかかるしそう簡単におすすめできるものでもないし。うーん。悩ましいですね。とりあえず読んでいきましょう。

カテゴリー
短詩 読書

『アンソロジスト』、時実新子『小説新子』を読むなど。

時実新子という川柳作家がいる。現代川柳の暮田真名さんが早稲田大学大学院で研究しようとしている対象だ。ということを以前伺った。

紀伊国屋書店で待ち合わせをした。お目当ての『アンソロジストvol.4』(田畑書店)を見つけた。川柳の本が増えている気がした。暮田真名『ふりょの星』は相変わらず平積み。表紙の吉田戦車の絵はやはり最高にかわいい。吉田戦車の川柳とか面白そうだ。『走れ!みかんのかわ』(河出書房新社)とか組み合わせ可笑しいでしょう。彼は音程はどのくらい意識しているだろうか。暮田さんは今号の『アンソロジスト』「スケザネ図書室」に「音程で川柳をつくる」という短文を寄せている。暮田さんが教える仕事が増えるにあたり「でっちあげていかなければ」とでっちあげた「作句のルール」のひとつだ。でっちあげというわりに超真面目に実践が紹介されているのが暮田さんらしいズレだと思う。超音痴の私にはやはり難しそうと不安になったがここで挙げられている方言がそうであるようにイントネーションというのは音痴のもつ特性とは少し別のところにあるような気がするからなんとかなるだろう。五七五に五七五を意識せずに言葉を入れ空席の数にはまる言葉が聞こえてくるのを待つようにすればいいらしいっすよ、先輩、という感じですね。

この『アンソロジスト』を指にはさみ(薄いのだ)平積みを眺めているとどーんと目に入ってきたのが『小説新子』(小学館)。そう、最初に書いて忘れていたわけではないよ、川柳界の与謝野晶子と言われた情念の女。この方、第一句集も『新子』。自分をどどーんと出してくる。ペンネームではあるけれど。

いやあ、すごかった。見も知らぬ家へ嫁へ行く『嫁ぐ』で幕を開ける新子の半生。暮田さんは新子をどうやって扱うのだろう。この人でっちあげ要素ゼロではありませんか。あまりにストレート。結婚の約束までしてくれた初恋の人を追い返した母。親には親なりの理由がある。

河口月光 十七歳は死に易し

読み始めてまもなく最初に登場する川柳だ。つまりこれは新子が十七歳で嫁いでからのお話である。

この続きは今度書こう。同時代のいろんな女が思い浮かんできてしまったのでキリがなさそうだ。女の言葉というものがあるかどうかは知らないが言葉から意味を外してなお残る情念みたいなものがあるとしたらそれをどう表現しよう。

なんてことを意識的に考える時間は今日もないがこう書いておけば突然どこかで何か思いつくかもね。花粉が辛いけどまたね。元気で。