明るい。朝はとりあえずカーテンを開ける、というのは大切なことですね。内側がどうであれ外側くらい大切にしないと。
この前、ゲンロンカフェでやっていた安田登さんと山本貴光さんの「心を楽にする古典講義──『古典を読んだら、悩みが消えた。』刊行記念」イベントをアーカイブで見た。
昨年夏には安田登×玉川奈々福×山本貴光「見えないものの見つけ方」イベントにもいった。それは『見えないものを探す旅 旅と能と古典』刊行記念イベントだった。
安田登さんはとてもたくさん本を書いているんだな。今回の『古典を読んだら、悩みが消えた。』もとてもユニーク。今ちょっとエネルギーがないので書きたいことも書けないけど出版社のページをぜひチェックしてみて。と言いたいのだけど目次が載っていないのが残念。
「自分より強くてイヤなやつがいるなら」「自分の気持ちをうまく言葉にできないなら」「自分は陰キャだと思うなら」「コミュニケーションで失敗しがちなら」などなど私たちがよく悩む事柄に対して古事記、和歌、平家物語、能、おくの細道、論語を解釈しながら応えるという超難易度高い人生相談を安田さんは誰にでも読める形で実現してくれました、というかわいい表紙(中の漫画もかわいい)のすごい本。読んでいるうちになんか昔見たことあるあれ、聞いたことあるあれって本当はこういうことだったんだ、とか思っているうちに悩みにも別の意味が与えられて「まあこれでいいのかな」と思えると思います。お悩みがなくても私は夢の話とかすごく面白かった。能は特に興味深いなと感じます。ゲンロンのイベントで「みんな必ず寝るけど必ず起きるでしょ」(超雑な抜粋です、アーカイブでチェック)というようなことを安田さんが話していたのだけどこれ本当にそうで、この流れで話されたこともよかった。本では能は“「残念」を昇華する芸能”と書かれていてフロイトのいう個人的な無意識の産物とは違うよ、というようなことが書かれています。今は精神分析は個人のこころを集団的なものとして扱う視点があるので安田さんの書いてあることは本当にそうだなぁと思うのでした。
なんだか文章がバラバラしてしまうな、今朝は。いつものことか。私が悩んでいることもこの本にあるから読み直すことにしよう。
そうだ、昨年のイベントでは能の「忘却と疲労」のお話がとても印象的でブログにも書いた。コロナ禍だったけど現地で見られてラッキーだった。少人数で間近で見られた安田さんと玉川奈々福さんのおくの細道の実演は迫力とユーモアがあったし、一緒に声に出して読むのも新鮮だったし(今回のイベントでもやってたね)、山本さんがお天気のせいか何かで電車が止まっちゃって遅れちゃったことが起きたのもおくの細道の世界と相俟って面白かった。
朝から楽しかったことを思い出せたことに安心した、今。こころを集団として、全部私だけど全部私だけではない部分で構成されていると考える。変化しつづけていると考える。いろんなことは「変わらない」と感じられることの方がずっと多くて「もういやだ」ということばかりかもしれないけどこころを集団的かつ力動的なものと捉えれば綻びや虫喰いを見つけたときこそ変化のチャンスかもしれない。とはいえあまり思い切らずにいこう。行動化っていうのはあまりよくない、私たちにとっては。
ふー。なんとか今日も過ごしましょうね。東京は気温もちょうどよさそうです。