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精神分析

『傲慢と善良』、『ほんのこども』など

声の大きな鳥がいる。あの鳥かなあ、と寝ぼけた頭に思い浮かべたのはカラフルな大きな鳥。あの声がして振り向くとその色にいつもびっくりするから多分そう。今朝も朝は曇り空だけどすでに熱を感じる。

先日、Netflixで映画『傲慢と善良』を見た。辻村深月原作。よくわかるという感じは経験の有無に関わらず誰もが馴染みがなくはない関係性を描いているからだが、倉悠貴の演技もよかった。でもやっぱり文字の力は大きい。映画を見た人には原作もお勧めしたい。分厚い本になるわけだ、というそれぞれの心模様が繊細に描かれているから。自分の意志なんてなんて曖昧。でも求めうるもの。

最近、ますます老眼が進んで読書の量もスピードもすごく落ちているが、それでも本を手に取ってしまう癖というのはそう簡単に変わるものでもない。あー、疲れたなあ、と思ってなんとなく手に取ったは町屋良平の『ほんのこども』。最初に読んだときは圧倒されたが大変面白く読んだ一冊。いつも通り内容は細かくは覚えていない。冒頭からの反転具合とスピードがすごかったのは覚えている。少しパラパラしてみたらやっぱりすごい。どういう頭の動かし方をするとこういう文章が書けるのだろう。動かし方というよりそういうふうに動く頭があるということなのだろうけどすごいよなあ。ジャンプ力がすごい。私はここ数日、土居健郎の「甘え」について考える時間が多いので、この本の不穏さを「甘え」が持つ不穏さと重ねてしまったな。まあ「甘え」はこうやってなんでも重ねていける強度というか自由度が高い言葉なんだなという認識をあらたにしてしまったからだが。土居のいう「甘え」がナルシシスティクな方向で働く場合、それは他者を消す動きになるので侵襲的で暴力的ともいえる。「甘え」がネガティブなものとされる場合はそういうものがかぎつけられた場合だと思う。自分を許容してくれる「はず」というのは相手の善意任せすぎるのでそれがただの圧力として作用することもある。一方、それは他者なしでは存在できない自分という存在(主体という言葉はややこしいの使いたくない)との鉢合わせの回避でもあるので自分に対する侵襲性や暴力性を反転させてるだけとも言える、なんてね、かなりのスピードで書くとこういうことを書いてしまうわけで、私みたいな素人はジャンプができない。町屋良平は実際どのくらいのスピードでどのくらい助走したりしなかったりして書いているのだろう。いい本だったなあ。最近のはまだ読んでいないから読みたい。

今日は群馬県前橋市のSWEET SHOP YOSHIDAの「はちみつマドレーヌ」。前橋駅か高崎駅のお土産屋さんで買ったのだけどここのはイラストがとてもかわいい。猿田彦珈琲をもらったのでそれといただいた。

今日も元気に過ごしたいですね。頑張ろう。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家