梅雨だ。とてもそれらしい雨。
形なきものの影濃き梅雨の家 宇多喜代子 『雨の日』
もうしばらくしたらきっと
化粧して梅雨に慣れたる体かな 岸本尚毅 『第二句集 舜』
どの季節も日常を淡々と。
花にいきなり触れる人、花をいきなり手折る人をみるとびっくりしてしまう。たまたま目にはいっただけなのに、自分のものにしても見ようともしないだろうに、その場の衝動をおさめるために対象を使用する。それは精神分析家のウィニコットがいう意味での「対象の使用」ではない。使用の前には常に想像/創造が必要。ためらいのなさとはいきなり近づいて触れることではない。雨の季節、傘についた雨粒の行方をおもう。
人は形を変え、相手を変え、驚くほど同じことをやっていたりする。精神分析ではそれは反復と呼んできた。分析家のほうには別に見えるものを同じとみなすための枠組みがあるが、本人がそれとあれとこれが同じ、と気づくには時間もエネルギーもいる。同じといわれればそんな気もして、ついなんでもかんでも同じ構造で説明したくなるというような奇妙なことも起きる。いわれたら囚われる、いわれるまで気にならない。囚われは精神分析でなくても重きを置かれる状態だろう。森田療法とか特に。
あさごはんを食べすぎておなかいっぱい。仕事までにしゃきっとできるかな。今日もがんばりましょう。

