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精神分析

七夕

7月7日。七夕。例年通り曇りか雨か。

東京に住み始めて最初の年の七夕、その夜も池袋西口公園にたむろしていた。坂本九「見上げてごらん夜の星を」が流れていた。みんな空を見ていた。

ウィニコットを読んでいた。好きな人が好きなものを好きな理由をつい聞いてしまうことを反省した。それは移行対象かもしれないから。それはあなたがたまたま見つけたのか、それともあなたが作り出したのかと問うことは野暮だ。といってもこれは赤ちゃんがお母さんと融合した状態から分離するときのお話だけど。知りたいという気持ちが理由を求めてしまう。大体のことは理由など後付けだったりするのだから好きな人が好きなものを大切にしている、ただそれだけでいいのに。

夜、東京に戻るとき、チャイルドシートで眠っていた小さな子供が泣き出した。外の暗さを奈落に感じるのだろうか。激しく激しく泣いていた。私はその子に覆いかぶさるようにしてしっかりと抱きしめた。世界が崩落する恐怖を自分がバラバラになる恐怖を精神病の人が感じるように、たまたままだ発症していない私も少なからずそう感じることがあるように、この子も感じているのかもしれない。全身で激しく泣き叫ぶその子との間に隙間を作らないようにしっかり抱えながら大丈夫、大丈夫と呟いた。少しずつその子がこっちの世界に戻ってくるのを感じた。腕を緩めるとぽやっと私の顔をみてまた顔をうずめて泣き少しずつ夜の世界に馴染もうとしているようだった。外に光があることに気づいたようだった。そうだよ、夜は暗いだけじゃない。その子は私をみて小さな両手のひらをキラキラと回した。「キラキラだね」私は一緒に外を見ながら彼女のキラキラに合わせて「キラキラ」と何回か繰り返した。バックミラー越しに注意深く私たちを見守っていた母親が微笑んだ。

七夕。私が住む街の小さな商店街にもいつの間にかキラキラの吹き流しが飾られていた。ある日の夜に気づいた。保育園でも子供たちが短冊に書いた願い事が(まだ大人には読めないけど)先生方が苦労して取り付けた笹に飾ってあった。

空を見上げる。災害も戦争もこの空の下で起きる。出会いも別れも誕生も死も。2018年、西日本豪雨から4年がたったという。もう4年か。今なお仮設住宅に暮らす方々がいると知った。どうにからならないのだろうか。その中でコロナ禍も過ごされていたと思うと言葉を失う。その年はたまたま広島を旅する予定でいた。被災地にいくことは常に迷う。いろんなところに問い合わせた。「ぜひいらして」といってくれたとしてもそこにあるであろうアンビバレントに注意を向けないわけにはいかない。結局行った。いろんな跡を目にした。大きな家を通り過ぎると大きな窓のカーテンが閉められた。まだ昼間だ。観光客である自分を恥ずかしく思った。宿の人にはいろんな話を聞いた。「ここはたまたま水も止まらなかった。でもあそこは」と道一本隔てるだけで変わる生活状況を知った。それを助け合って時間を過ごしてきたことも知った。彼らは普通のトーンでそれを話し「来てくれてありがとう」といってくれた。東日本大震災のときもそうだった。

七夕にはいろんな言い伝えがある。スクールカウンセラーをしているときは毎年お便りに七夕のことを書いた。隔てられた二人が出会う話であるならば今日がそうであってほしい。明日だってそうあってほしい。どんなお天気だとしても。時間的に、空間的に、どんなに離れていたとしても。