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精神分析

hope&force

いつもの森から一斉に鳥の声が聞こえてきた。誰かの一声が目覚まし時計みたいになってみんなびっくりしちゃってるとかあるのだろうか。ないか。

今朝も早速「プライバシーって」と思うことがあったがまぁプライバシーも切り売りするものと捉える人もいるだろうし、とりあえず人のことは人のことということで朝の一筆書きのように書く。

プライバシーは急に侵害される、というとき、すでにいくつかの例が思い浮かぶがこのソーシャルメディア時代、いくら削除依頼を要請したところでその扱われ方の軽さを思い知るだけかもしれない。

プライベートでパーソナルな部分に触れていくことはたとえその意図はなくても侵入、侵害として受け取られやすい。精神分析における非対称性、それ自体がトラウマとなる可能性が常に問題になるのは精神分析がプライベートな空間でパーソナルな部分に触れる作業だからであり、その繊細さ、脆弱さは常に治療者の想像を超えている。なぜそう知り得るか。精神分析は転移状況であり、反復されてきた患者の体験を分析家は患者の位置でまるでそのときそこでのように体験させられるからだ。精神分析において関係性は反転し、今や分析家のものである患者の繊細さ、脆弱さが患者がそうされてきたように侵入や侵害を受けるとき、その傷つきは患者だけのものではなくかつての自分のものでもあったことを分析家は訓練のプロセスで知っている。

厳然と存在する設定上の非対称は本来、患者のプライベートでパーソナルな部分を守るためであり、転移上、侵入や侵害をする、されるの場となっていくときこそその機能の重要性は明らかになるが、分析家の脆弱性や傷つきも強烈に賦活される転移状況において分析家が転移を扱い損ねたとき、それはたやすく破壊される危険も孕んでいる。訓練を経て分析家の資格を得ることはその危険から自由であることを意味しない。人間は人間と強く拘束しあいながらそれぞれの自由を模索するのであり、絶対に安全と言われるような関係こそ疑うべきだろう。では、私たちが強迫的に安全な関係を志向することなく、死と隣り合わせになる危険を恐れながらもその関係性から逃げ出さないのはなぜか。逃げられないから。少なくとも治療関係においてそれはない。一方、そう生きるよりほかないという極限的な状況は実際にある。そしてそういう心境もある。

Remember that hope is good thing,

スティーヴン・キング『刑務所のリタ・ヘイワース(Rita Hayworth and Shawshank Redemption)』からの引用だ。妻とその愛人殺しの罪に問われた主人公アンディが刑務所で過ごす中で信頼しあうようになったレッドに書いた手紙の一部である。

この小説は『ショーシャンクの空に(The Shawshank Redemption)』という邦題で映画化、1994年に公開され遅れて話題になった。原作は英語であり私は持っているが理解が曖昧なので映画の方を素材にプライベートであること、パーソナルであること、そしてそれらがたやすく侵入、侵害され、軽く扱われることについて考えてみようと思った。

といっても朝の一筆書きでかけるはずもないので少しずつ考える。今日もMay the force be with you.これはスターウォーズだけど。人には絶対に触れられない領域がある。そこに希望を見出せる力があなたと共にあらんことを。

作成者: aminooffice

臨床心理士/精神分析家候補生