ようやく鳥の声が聞こえた。洗濯機を回す音や冷房が風を送る音に紛れてしまうこともなかろうに、と思ってなんとなく待っていた。いつもより1時間くらい遅い。私の耳のせいか。鳥たちに、自然に何かあったのか。
今朝は奥多摩駅内にあるという珈琲屋さんのコーヒーとそこで売っている山形県みはらしの丘のESCARGOTというお店のパウンドケーキを食べた。お土産でいただいた。みはらしの丘なんて素敵な名前。富士見ヶ丘という地名はたくさんあると聞いたことがある。以前はそのどこからも富士山が見えたそうだ。そりゃそうか。みはらしの丘はとてもみはらしが良さそう。そりゃそうか。
そういえば映画「ショーシャンクの空に」の序盤、一台の車を追うようにして要塞のような刑務所の入口へ観客の視線は導かれるのだがここのカメラワークはとても印象的だった。観客の視線は車と一緒に刑務所の門を潜ることはなく、飛行機が離陸するようにそのまま上空へと導かれ塀に囲まれた広い空間を俯瞰するようにゆっくり旋回させられる。鳥の視点だ。このシーンがあるからラストシーンがなおさら意味があるものになる。
原作にはこんな語りがある。
Some birds are not meant to be caged, that’s all. Their feathers are too bright, their songs too sweet and wild. So you let them go, or when you open the cage to feed them they somehow fly out past you. And the part of you that knows it was wrong to imprison them in the first place rejoices, but still, the place where you live is that much more drab and empty for their departure. That’s the story
ーKing, Stephen. Rita Hayworth and Shawshank Redemption
そう、そういう話でもある。
自由とはなにか、罪のあるなしに関わらず一度囚われたその場所から釈放されるためにどれほどの犠牲を払わされるのか、釈放の許可を与えるのは誰か。「更生rehabiritation」とは何か。人生の半分以上を刑務所で過ごしてきたレッドはいう。
Have I rehabilitated myself, you ask? I don’t even know what that word means, at least as far as prisons and corrections go. I think it’s a politician’s word. It may have some other meaning, and it may be that I will have a chance to find out, but that is the future…
これは原作からの引用だが、映画でこれが語られるシーンでは静かに圧倒される。棒読みで目を泳がせながら媚びるように決まったセリフを繰り返す必要はいまやない。この囚われの立場を知らぬ者たちが使うその言葉はただのブルシットワードだ。この場面には映像やポスター以外で刑務所内ではじめて女性が登場する。時間はゆっくりと着実に変化をもたらす。自由の意味も変わる。ある者は死を選び、ある者は静かに夢見る。いずれ記憶のない暖かな場所で暮らすことを。
相手の話に耳を傾け、気持ちを想像できる人ばかりがメインの登場人物であるこの映画、暴力的なシーンもあるが相手を知ろうとする力と豊かな情緒を持つ人たちの関わりが観客にも希望を失わせない。希望hope、原作でもそれが最後の言葉だ。
それぞれに過酷さを生きる瞬間瞬間があるだろう。たやすく希望を持てと言えるはずはないがなくはないかもしれないそれに少しでも自分を委ねることができたら。いつも願ってばかりだけれど今日も。