カテゴリー
精神分析

言葉

言葉の展望台』三木那由他(講談社)を読了。あっさり読めたが頭はぐるぐるした。だって著者がそうだから。そのぐるぐるをこの少ない分量で言語化できるのがすごい。時間がないから感想文は書かない。『群像』で続いている連載の12回分がとりあえずこの本になったようなので続編が期待できるということだろう。山本貴光さんの『マルジナリアでつかまえて』も連載が途中で一冊の本になって、そこから最終回までが二冊目の本になった。とっても好きな本なんだけど中身がいちいち濃すぎて読む大変さと楽しみと興奮がごっちゃになって「もっとゆっくり読む時間がほしい!」となることがあった。まあ、山本さんの文章はどれもものすごい情報量なので読み慣れるまでは結構大変だった気がする。比べるものでは全くないのだが連載を一冊にしないで分けてくれるということは私にとっては助かることなのだ、と言いたかった。

三木さんのこの本はその理由だけではなくとてもコンパクトで、著者が経験した日常の一場面や出来事を言語学、言語哲学の知見をさらっと紹介しながらそこでどんなコミュニケーションが起きていたのか、そのコミュニケーションは学術的にはこの理論で説明できるかもしれないけど実際起きていたことってなんだろう、こんなもやもやした気持ちをその理論は説明してくれない、だとしたらどう考えればいいんだろう、ということを一緒に考えさせてくれる。

言語学、言語哲学の専門家である著者はこの連載の途中でご自身がトランスジェンダーであることを打ち明けたという。本書の最終話「ブラックホールと扉」では「あいつゲイだって アウティングはなぜ問題なのか?』(柏書房)の著者、松岡宗嗣さんとのトークイベントでされた対話のことも書いてある。どの話も読まれるべきと思うがひとつの言葉が生まれたときにそれを大切にせずその言葉が持つ意味をたやすく広げることはある意味暴力だという認識は大切だろうと思った。

なんかすごいスピードで書いたのでこれこそ雑でよくない気がするけどとりあえず置いておく。